2013年1月7日月曜日

生きよ!人間の記録双書

 昭和30年代の前半,平凡社から「人間の記録双書」という企画シリーズが出されています。これを知ったきっかけは,古書店で買った,同社の『大都会・東京』(岩井弘融著,1958年)という本に栞がはさまっていたことです。栞の写真をお見せしましょう。


 何やら,励まされる言葉が書かれていますね。当時は,「生きづらい」時代でした。戦争が終わって10年経ったとはいえ,生活水準は今とは比較にならないほど低く,かつ,社会の激変に伴う価値観の大転換に,人々が翻弄されていた時代です。

 こういう時代状況に最も戸惑いを抱いていたのは青年層であり,当時の青年の自殺率が異常に高かったことはよく知られています。1955年(昭和30年)にあっては,20代前半男子の10万人あたりの自殺率は83.4でした。2011年の31.5よりもはるかに高い値です。

 上の栞にあるように,「無気力とあきらめの底にうち沈んでいる」青年も多かったことでしょう。本シリーズは,こういう青年に向けて書かれたものであるのかもしれません。

 さて,具体的な中身はどういうものかというと,タイトルにあるように「人間の記録」です。でも,一般に想定されるものとは趣が違っているとのこと。栞の2頁目に書かれている,「編集者から読者へ」の文章の一部を引用しましょう。

 「人間の記録双書は,いままでのジャーナリズムがやってきた仕事とは,少し赴きが変わっております。それは筆者のほとんどが無名であり,しかも,文章を書くことを職業としている人々ではないということです。ただ,人生にまともに立向い,おのおの仕事に生涯をかけて,せいいっぱい生き抜いてきた人びとであるということです。 
 私たちは,これら無名の大衆の自伝を通して,現代日本の,生きた歴史と社会のすがたを明らかにし,かくれた日本人の思想・知恵・エネルギーを,ありのままにお伝えしたいと思うのです」。

 伝記というと,偉人や著名人のものをすぐに思い浮かべますが,本シリーズに収められているのは,草の根の自伝です。読者にしても,「こういう生き方があるのか」と教えられるところが大でしょう。自分と生活条件を同じくする,無名の大衆の自伝であるだけに,なおさらです。

 この「人間の記録双書」で筆をとっているのは26人です。合計27冊。発刊の年次順に並べた一覧は以下です。

『ジャーナリスト:新聞に生きる人びと』酒井寅吉,1956
『谷間の教師』水野茂一,1956
『広島商人』久保辰雄,1956
『生きて愛して演技して』望月優子,1956
『開拓農民』狩野誠,1957
『靴みがき』和田梅子,1957
『検事』歳森薫信,1957
『芸者』増田小夜,1957 ☆
『詩人』金子光晴,1957
『昭和に生きる』森伊佐雄,1957
『日本中が私の劇場』真山美保 ,1957
『ふだん着のデザイナー』桑沢洋子,1957
『不良少年』西村滋,1957 ☆
『町田大工』稲葉真吾,1957
『ゆりかごの学級』岸本英男 ,1957
『ある日本人』中野清見,1958
『看守』板津秀雄 ,1958
『草分け運転手:自動車と五十年』高橋佐太郎,1958
『主婦』大村重子,1958
『中国のなかの日本人:第1部』梨本祐平,1958
『中国のなかの日本人:第2部』梨本祐平,1958
『被告:松川事件の二十人』佐藤一,1958
『広場で楽隊を鳴らそう』服部正,1958
『港の医者』片山碩夫,1958
『セールスマン:ミキサーからテレビまで』堀誠 ,1959
『父の自画像:PTAの周辺』中森幾之進,1960
『薄明の記憶:盲人牧師の半生』熊谷鉄太郎,1960

  興味をそそられるものばかりです。私は全巻読破しようと,日本の古本屋のサイトで検索してみたのですが,残念ながら引っかかるものは少なく,あるにしても目玉が飛び出るような額がついていて手が出ません。地元の図書館を通して,都立図書館や国会図書館から取り寄せようにも,古くて傷みやすい本なので貸し出しは不可とのこと。

 やっとの思いで入手できたのは,☆をつけた2冊です。西村滋さんの『不良少年』と,増田小夜さんの『芸者』。現物の写真をお見せします。


 西村滋さんは,私が大好きな『お菓子放浪記』の作者でもあられます。1925年(大正14年)のお生まれです。上記の『不良少年』は,32歳の時に書かれた本ということになります。

 どちらもとても感慨深いもので,励まされるところが大でした。まさに「生きよ!」というメッセージをいただいたように思います。

 この手の自伝集は,今でも多く出ていると思いますが,時代状況が異なる昔のものを読むのも一興です。現代の呪縛から自分を解き放つことにもつながるでしょう。上記のシリーズは多くの人に読まれるべきものと思うのですが,どれも入手が困難であるのが残念です。

 現在,書籍のデジタル化の技術が加速度的に進歩して,国会図書館でも蔵書の電子化が進んでいると聞きます。こういう古い記録も読めるようになればよいな,と思います。