2012年5月3日木曜日

高学歴ワーキングプア

「ワーキングプア」とは,字のごとく,「働く貧困層」と訳されます。就労しているにもかかわらず,最低限の生活を維持するに足りるだけの収入しか得ることができない人々です。略称「ワープア」。現代社会を風刺する,最先端の流行語の一つといってよいでしょう。

 昨今の不況のなか,この手のワープアに括られる人間の数は増えてきています。2007年の総務省『就業構造基本調査』によると,有業者(パート,バイト等含む)6,598万人のうち,年間所得が200万円未満の者は2,226万人だそうです。比率にすると33.7%。所得の区切りが妥当であるかは分かりませんが,働く人間の3人に1人がワープア,ないしはそれに近い状態にあることが知られます。

 ところで,この言葉に「高学歴」という語を冠すると,「高学歴ワーキングプア」という熟語ができあがります。2007年10月に刊行された,水月昭道さんの『高学歴ワーキングプア-フリーター生産工場としての大学院-』(光文社新書)は,大学院博士課程修了の学歴を持ちながらも定職に就けず,月収15万円ほどの非常勤講師で食いつないでいる輩が少なからず存在することを,世に知らしめてみせました。
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334034238

 「高学歴」と「ワーキングプア」という,いかにも無縁そうな2つの要素が,実は分かちがたく結びついていることを暴いてみせた,本書の功績は大きいというべきでしょう。本書の刊行以降,「高学歴ワーキングプア」という言葉は市民権を持ち,『イミダス』や『現代用語の基礎知識』のような書物にも掲載されています。

 ちなみに,大学院博士課程を修了しても定職に就けない「無職博士」が増えてきていることは,このブログでも繰り返し書いてきました。少子化により大学の雇用口の減少が明らかであるにもかかわらず,1990年代以降,大学院の定員(教員予備軍)が大幅に増やされました。その結果,大学教員市場の需要と供給のバランスが崩壊し,今しがた述べたようなよからぬ事態がもたらされています。

 「高学歴なのにワープア?そういう人ってどれいくらいいるの?」。こういう関心をお持ちの方も多いかと思います。上記の水月さんの本では,おおよその見積もり値が指摘されていますが,ここではもう少し厳密にその量的規模を押さえてみようと存じます。

 ある現象の量(magnitude)を統計で把握するには,操作的な定義が必要になります。ここでは,高学歴ワーキングプアをして,「大学院修了の有業者のうち,年間所得が200万円未満の者」という定義を置くこととします。

 総務省『就業構造基本調査』から,有業者(パート,バイト等含む)の年間所得分布を学歴別に知ることができます。最新の2007年調査によると,大学院修了の有業者は127万人となっています。有業者全体の1.9%です。この層の年間所得分布は下図のようです。下記サイトの表41のデータをもとに作図しました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001013824&cycode=0


 最も多いのは,1,000万以上1,500万未満の階層です。多くは,大学の年輩教授でしょう。次に多いのは400万円台。助教や専任講師あたりでしょうか。この分布から平均値を出すと,だいたい700万円くらいです。

 さて,問題の高学歴ワーキングプアは,上図の赤色の部分です。その数,88,500人なり。大学院修了の学歴を持ちながらも,年収200万円未満の貧困生活にあえいでいる人たちです。このうちのほとんどは,激安の給与で働く(働かされる)大学の専業非常勤教員でしょう。

 4月2日の記事でみたところによると,2007年の大学・短大の専業非常勤教員の数は83,668人です。奇しくも,ここで明らかにした高学歴WPの数と近似しています。両者の差分は,非常勤講師の職すら得られず,肉体労働などで糊口をしのいでいる輩ではないかしらん。

 2007年の高学歴WP88,500人の属性をみてみましょう。性,年齢,職業,および50万円刻みの所得階層の分布をみてみます。出所は,上図と同じです。


 性別は,男女がほぼ半々です。年齢は,20代後半から30代前半が最も多くなっています。しかるに,35歳以上の者が全体の6割を占める点に注視すべきでしょう。「35歳の壁」といいますが,このラインを超えると正規雇用の道は相当厳しくなるのも事実です。

 前掲の水月さんの本の帯に「非常勤講師とコンビニのバイトで月収15万円。正規雇用の可能性ほぼゼロ」というフレーズが記されていますが,このことは,とりわけ「高齢」高学歴WPに当てはまるといえましょう。

 職業では,専門・技術職が6割と最多です。非常勤講師は一応は「専門職」ですので,さもありなんです。生産工程・労務のような肉体労働従事者が全体の7%ほどいます。その数,約6,200人。販売職・サービス職はおよそ8,700人。水月さんの本で紹介されている,コンビニでバイトする文学博士(女性)は,そのうちの一人でしょう。彼,彼女らは,採用面接で履歴書を出した際,さぞ好奇の眼差しを向けられたことでしょう。「これほどの能力を持ちながら何で・・・」。

 最後に所得分布ですが,50万刻みの4つの層にほぼ均分されています。半数以上が年収100万未満です。とうてい生を維持できるレベルではありません。配偶者がいるか,親元(実家)にパラサイトしている者と思われます。

 今回みたのは2007年のデータですが,もっと直近ではどうなっているのかしらん。4月2日の記事によると,大学・短大の専業非常勤教員の数は83,668人から92,655人へと1.107倍に増えています。この増加倍率を適用すると,2010年の高学歴WP数は約9万8千人と推計されます。おお,水月さんの本でいわれている「10万人」にほぼ近い値です。

 今年(2012年)は,総務省の上記調査の実施年です。この調査結果から検出される,高学歴WPの数はどれほどになっていることやら。10万人を突破していることは間違いありますまい。

 ワーキングプアが増えることはよろしくないことですが,高学歴ワーキングプアが増えることは,もっと深刻な問題をはらんでいます。それは,莫大な税金で育成した知的資源の浪費という,金勘定の上だけのものにとどまりません。米国のフリーマンという経済学者の筆になる『大学出の価値-教育過剰社会-』(1977年刊行)の一文を引用します。

 「多数の高学歴者が希望通りの経歴をふむことができなかったり,また大学を出てから,自分の立場をより良くする道が見出せない場合,彼らの中には政治的過激運動に走る者も出てくるおそれがある」(訳書,230頁)。

 多大な資源を投入して,社会を覆しかねない危険因子を育成する。こんな馬鹿げたことはありますまい。