2011年6月30日木曜日

教育費

 青山学院幼稚園に子どもを裏口入学させられると嘘をいい,保護者から多額の金銭をだまし取った容疑者が逮捕されたそうです。少子化が進んだ現在でも,まだこういうことがはびこっているのですね。
http://www.asahi.com/national/update/0629/TKY201106290253.html

 さて,青山学院といえば,幼稚園から大学までの一貫教育で有名です。貧乏性の私としては,この学院の幼稚園に子どもを入れ,大学まで出すとなったら,莫大なお金がかかるだろうなあ,と案じてしまいます。わが国では,子ども一人育てるのに1千万かかるとか2千万かかるとかいわれますけれども,公的な統計を使って計算すると,どういう数字が出てくるでしょうか。

 文科省の『子どもの学習費調査』では,保護者が子どもに費やした教育費(本調査の用語では学習費)の額が明らかにされています。ここでいう教育費には,学校教育費(授業料,通学費…),学校給食費,および学校外教育費(学習塾費,地域活動費…)が含まれます。

 最新の2008年度調査によると,同年度間に保護者が費やした教育費の平均は,公立小学校の4年生の場合,約29万円です。しかし,中学校3年生になると56万円ほどに上がります。子どもが私立校に通っている場合,この額はうんと高くなることはいうまでもありません。

 私は,こうした学年ごとの統計をつなぎ合わせて,子ども一人を育て上げるのに必要な教育費の総額を試算しました。なお,上記の文科省調査は,高等学校段階までしか調査していません。大学については,日本学生支援機構の『学生生活調査』で明らかにされている学費のデータを使います。学費とは,「授業料,その他の学校納付金」および「修学費,課外活動費,通学費」から構成されます。大学の学費は学年ごとに明らかにされていないので,1~4年とも,一律に全体の平均額を適用します。ここで用いる統計は,以下のサイトで閲覧できます。
文科省:http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa03/gakushuuhi/1268091.htm
日本学生支援機構:http://www.jasso.go.jp/statistics/gakusei_chosa/data08.html

 幼稚園から大学まですべて公立(大学は国立)という「親孝行?コース」と,すべて私立という「親不孝?コース」を想定してみましょう。下の表をご覧ください。


 まず最下段の総額に注目すると,すべて公立(大学は国立)の場合,およそ808万円です。すべて私立に通わせた場合は,2,198万円です。後者は前者の2.7倍です。公私の差は,小学校段階で大きくなっています。どの学年でも,4~5倍も開いています。義務教育無償の原則により,公立の小学校では授業料が徴収されませんが,私立は,そうではないからです。

 表の右欄は累積を出したものですが,すべて私立のコースの場合,子どもが義務教育を終える頃にして,既に1,370万円にも達しています。すべて公立コースの額(396万円)の3.5倍です。その後,高卒時点で1,663万円,大卒時点で2,198万円に達します。

 巷でいわれていることではありますが,わが国では,家庭が負担する教育費が膨大なものであることが知られます。教育費の高さが,少子化の原因になっていることは,否定できないところです。まあ,すべて私立というコースをたどるのは,ごく一部の子どもだけでしょう。小学生に占める私立生の比率はたったの1%,100人に1人です(2010年)。

 思うのですが,小学校や中学校という早い段階らか,子どもを私立に入れようという,親御さんの心理はどういうものなのでしょうか。誰もが入れる公立にはワルガキが多いので,わが子がいじめに遭うのではないか,という心配からでしょうか。でも,6月14日の記事でみたように,いじめを容認する子どもは,公立よりも私立で多いのです。

 ところで,2010年度より実施されている高校無償化政策により,公立高校の授業料はタダになり,私立校の授業料には補助が出ることになりました。よって,上表の高等学校段階の数字は,大きく変わることでしょう。願わくは,このような措置を,もう一段階上の大学にも適用していただきたいものです。

2011年6月28日火曜日

失業のリスク

 総務省『労働力調査』によると,2010年の完全失業者数は,334万人だそうです。334万人といったら,静岡県の人口よりも少し少ないくらいです。総人口(1億2,700万人)に占める比率は,およそ2.5%。国民の40人に1人が,働きたいのに働けないという,辛い状態におかれた人間であることになります。


 失業者数の長期的な推移をとると,上図のようになります。戦後混乱期から立ち直るにつれ,失業者の数は減少し,高度経済成長期の1960年代では,おおよそ60万人前後という低い水準で推移します。しかし,オイルショックのあった74年の翌年に100万人を超え,80年代半ば頃までじわじわと上昇します。バブルが崩壊した90年代の初頭から失業者は加速度的に増え,2002年には359万人のピークに達します。その後,減少しますが,08年のリーマンショックの影響から,翌年には再び300万人台にのっているという具合です。ちなみに,どの時期でも,失業者のほぼ6割が男性で占められています。

 就労意欲があるにもかかわらず無職状態に留置かれるという,完全失業者が増えることは,社会にとってよろしくないことです。生活態度が不安定化した彼らは,些細なことがきっかけで,犯罪や自殺などの逸脱行動に走る危険性があります。わが国では,自らを殺めるというような内向的な逸脱が多いようですが,無差別殺人のような外向的な破壊行動も起きています。

 はて,失業者が犯罪や自殺に走る確率というのは,常人に比べてどうなのでしょうか。警察庁の『犯罪統計書』から,犯罪で検挙された失業者の数を知ることができます。また,同庁の『自殺の概要資料』から,同じく失業者の自殺者数を知ることができます。私は,最新の2009年の統計を使って,失業者の犯罪者出現率や自殺者出現率を明らかにし,人口全体のものと比較してみました。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm


 上表によると,2009年の失業者336万人のうち,犯罪で検挙された者は9,352人,自殺をした者は2,341人です。10万人あたりの出現率にすると,犯罪率は278.3,自殺率は69.7となります。いずれも,人口全体の同じ値よりも高くなっています。失業者の自殺率は,人口全体のそれの2.7倍です。犯罪率は,意外と差が小さくなっています。

 ですが,罪種別にみると,少し違った様相も見えてきます。失業者の放火犯の出現率は人口全体の率の2.5倍,強盗犯出現率と知能犯出現率は1.7倍です。失業者の知能犯としては,「オレオレ詐欺」などを引き起こす,20代や30代の若年者が多いことでしょう。また,高度な知識を身につけたにもかかわらず,職に就けない高学歴層も少なくないことと思います。

 失業(unemployment)という状態が,犯罪や自殺の促進要因になり得ることは,統計からもうかがわれます。雇用対策に要する経費は大きいでしょうが,破壊行動が起こった際の被害者のケアや加害者の矯正に要する費用は,もっと大きいことと推察されます。

 今後,孤族化が進行し,一人ぼっちの人間が増えるなか,失業という事態の重みは,ますます増大していくことでしょう。となると,上記でみたような,失業者の犯罪率や自殺率の相対水準は,ますます上がっていくのではないでしょうか。このことを確証する手立てとして,過去から現在にかけて,それがどう変化してきたかを明らかにしてみようと思っています。歴史は,未来を展望するための実験データであるとは,私の恩師がおっしゃったことです。

2011年6月26日日曜日

殺人率と自殺率の国際比較

 1月14日の記事において,日本,アメリカ,イギリス,フランス,およびドイツといった先進国の殺人発生率と自殺率を比較しました。日本は,自殺率は高いのですが,殺人率は非常に低いことが分かりました。アメリカなどは,その逆です。このことから,危機状況への対処の仕方が,前者は内向的,後者は外向的であるという特徴づけをしました。

 しかし,世界を見渡せば,もっと多くの国(社会)があります。たとえば,南米諸国の殺人発生率は,先進国の比ではないといわれます。今回は,これらの国をも交えた比較を行い,わが国の国民性の特徴をもっとはっきりさせてみたいと思います。

 私は,世界の40か国について,殺人発生率と自殺率を明らかにしました。前者は,殺人事件の発生件数が人口に占める比率です。後者は,自殺者が人口に占める比率です。双方とも,10万人あたりの率で表します。殺人発生率は,国際連合の統計サイトから得ました。自殺率は,WHOのMortality Databaseから得ました。下記に,URLを貼っておきます。
国連サイト:http://data.un.org/Data.aspx?d=UNODC&f=tableCode%3a1
WHOサイト:http://apps.who.int/whosis/database/mort/table1.cfm

 統計の年次ですが,両指標とも最新のもの使っています。ただし,双方の年次がそろうようにしています。その結果,40か国の統計は,だいたい,2005年前後のものとなったことを申し添えます。日本の場合,2006年の統計を拾っています。下図は,横軸に自殺率,縦軸に殺人発生率をとった座標上に,40か国を位置づけたものです。


 日本は,自殺率が高く,殺人率が非常に低いので,図の右下の底辺を這うような位置にあります。その対極が,コロンビアや南アフリカです。自殺率は低いのですが,殺人率が飛びぬけて高いので,図の左上にプロットされています。

 4月3日の記事で,南アフリカや南米諸国は,失業率が高いにもかかわらず,自殺率は低いことを明らかにしました。殺人率の高さを併せて考えると,これらの国々では,他人に危害をもたらすことで,危機状況を乗り切ることが多いものと推察されます。日本などは,その真逆です。危機状況への対処に際して,自らを殺めるようなことが多いと解釈されます。

 危機状況への対処の仕方が,どれほど内向的(外向的)かを測る尺度を考えてみましょう。今,殺人発生率(H)と自殺率(S)を合算した値(H+S)を,当該社会における極限の危機状況の総量とみなします。この合算値に対するSの比率をもって,内向率といたしましょう。この値が高いほど,危機状況への対処の仕方が内向的であると考えられます。

 日本の場合(H=0.4,S=23.7),この意味での内向率は,23.7/(0.4+23.7)≒98.2%です。極限の危機状況のほぼすべてが,自らを殺めることで処理されているわけです。この指標が最低なのは南アフリカでわずか2.4%です。裏返すと,この国では,危機状況の97.6%が他人を殺めることで処理されていることになります。

 40か国について,内向率の上位5位を挙げると,日本(98.2%),スロヴァニア(97.8%),オーストリア(95.5%),シンガポール(95.5%),スイス(94.6%),です。下位5位をみると,低い順に,南アフリカ(2.4%),コロンビア(8.2%),ベネズエラ(10.6%),ブラジル(12.3%),パラグアイ(16.8%),です。後者では,ほとんどが南米の国です。他の国はどうかという関心をお持ちの方もおられると思うので,HとSの組成図を以下に掲げておきます。


 危機状況への対処の仕方が内向的のほうがよいのか,その逆のほうがよいのかという,価値判断はできません。しかし,日本の内向率の高さは国際的にみても際立っています。時系列的にみても,この内向率が高まってきているのではないでしょうか。

 近年,「自己責任」という言葉が社会全体にはびこっているように思います。しかるに,自らに責を帰す「内向的」な国民性があることをよいことに,お上(政府)が惰眠をむさぼるようなことがあってはならないと存じます。

 付記:殺人率と自殺率の関係から,内向率という指標を考案されたのは,私の恩師の松本良夫教授です。下記の論文を紹介させていただきます。松本良夫「日本における自殺の近況」『現代の社会病理』第21号(2006年),松本良夫・舞田敏彦「殺人・自殺の発生動向の関連分析」『武蔵野女子大学現代社会学部紀要』第3号(2002年)。

2011年6月25日土曜日

教員の自殺

 以前,教員の離職率や精神疾患による休職率を分析しました。今回は,離職や精神疾患を通り越した,極限の事態である自殺(suicide)にまで及ぶ教員がどれほどいるか,またその要因としてどのようなものが大きいか,ということを数で明らかにしようと思います。

 警察庁が毎年発刊している『自殺の概要資料』には,職業別の自殺者数が記載されていますが,その中に,「教員」というカテゴリーがあります。幼稚園,小学校,中学校,高校,特別支援学校,大学のような正規の学校のほか,専修学校や各種学校などの教員も含んでいるのでしょうが,母集団の組成からして,大半が小・中・高校の教員であるとみてよいでしょう。

 当該資料の2010年版によると,同年中に自殺した教員の数は146人だそうです。最近の推移をたどると,2007年が125人,08年が128人,09年が144人,そして10年が146人というように,少しずつ増えてきています。ちなみに,2010年の146人のうち,男性が115人(78.8%)と多くを占めています。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm

 同年の文科省『学校基本調査報告』によると,この年の教員人口(幼稚園,小学校,中学校,高等学校,中等教育学校,特別支援学校,高等専門学校,短期大学,大学,専修学校,各種学校)は約181万人です。ゆえに,教員の自殺率は,先ほどの146人をこの数で除して,10万人あたり8.1人と算出されます。この年の人口全体の自殺率(24.9)と比べたら,かなり低くなっています。なお,小・中・高校の教員(104万人)のみをベースにして自殺率を出すと,14.0となります。

 このように,教員の自殺者は実数でみても率でみても少ないのですが,自殺の原因の構成は,独特のものとなっています。下図は,自殺者の自殺理由の内訳(大分類)を,教員と人口全体とで比較したものです。2010年の統計です。


 双方とも,最も多いのは「健康問題」に関する理由ですが,教員の場合,それに次ぐのが「勤務問題」となっています。このカテゴリーに属する理由のシェアは,人口全体では7.8%しかないですが,教員では31.9%も占めています。おそらく,過労とかバーンアウトとかいったものであると思われます。

 では,およおその見当をつけたところで,もっと細かい小分類の原因表をみてみましょう。上記の警察庁の資料では,2007年版より,細かな小分類の原因表が公表されています。私は,2007年から2010年にかけて,教員の自殺の原因構成がどう変わったかを調べました。


 上表の統計は,原因の延べ数を集計したものですので,総計の値は,自殺者の頭数よりもやや多くなっていることに留意ください。表によると,両年とも,うつ病による自殺が最多です。しかし,この理由による自殺者が最近3年間で15人も増えています。2010年では,うつ病だけで,自殺理由全体の30.7%を占めるに至っています。その次に多いのが,勤務問題の中の「仕事疲れ」というものです。教員の多忙化がいわれる今日,さもありなん,という感じです。

 また,2010年では,「夫婦関係の不和」という,家庭関連の原因も目立っています。家庭は,仕事でへとへとに疲れた身を癒す「憩いの場」となることが期待されるのですが,その家庭までもが,緊張や葛藤の場となってしまっては,たまったものではありません。教員は,同業婚が比較的多いといいますけれども,お互い多忙で,知らぬ間に夫婦関係に亀裂が入る,ということでしょうか。

 これまで,教員の離職,精神疾患,および自殺という病理指標を分析してきましたが,いずれの現象も,その根は同じものであるように感じます。

2011年6月23日木曜日

学力と自尊心の相関

 前回の続きです。今回は,子どもの自尊心の程度が,学力の水準とどう関連しているのかを明らかにしようと思います。

 わが国のように,「学校化」が著しく進展し,上級学校への進学規範が強い社会では,子どもの自尊心の程度は,学校での教科の成績とかなり関連していることと思います。それは当然といえば当然ですが,両者があまりに強く結びついていることは,子どもの自尊心の拠り所が,狭い部分に局地化されていることを示唆します。実情はどうなのでしょう。

 前回,2010年度の『全国学力・学習状況調査』の結果を使って,子どもの自尊心の多寡を県別に明らかにしました。「自分にはよいところがあると思うか」という問いに対し,「あてはまる」ないしは「どちらかといえば,あてはまる」と回答した者の比率です。この指標が,教科の平均正答率とどう相関しているかをみてみます。


 上図は,公立中学校3年生について,国語Aの平均正答率と自尊感情の相関図を描いたものです。正答率が高い県ほど,自尊感情も高い傾向にあります。相関係数は0.613であり,1%水準で有意と判定されます。

 上記の文科省調査は,中学校3年生と同時に,小学校6年生も対象にしています。後者にあっては,自尊心と学力の相関はどうなのでしょうか。また,国語Aとは別の教科の正答率をあてると,どういう結果になるでしょうか。下に,相関係数の一覧を掲げます。公立学校の都道府県別データの解析から得られたものです。各教科のAは知識を問うもの,Bは活用を問うものであることを申し添えます。


 どの教科の正答率も,子どもの自尊心の多寡と正の相関です。また,小6から中3にかけて,相関係数の値が軒並みアップしています。自尊心の高低が教科の学力によって規定される度合いは,上級学年ほど強いことがうかがわれます。

 地域単位の統計ではありますが,上記の事実をどう解釈したものでしょうか。仮に,両変数が全くの無相関という場合,それは危惧すべき事態です。子どもたちが,学校(それも義務教育学校)での勉学をどうでもいいと考えていることを意味するからです。かといって,相関係数が0.8から0.9にも及ぶのであれば,子どもの自尊心の基盤(basis)が,あまりに狭いものになっているのではないか,という懸念が持たれます。上記のデータは,こうした対極的な事態の中間に位置するものであり,ちょうどよいといえるのかも知れません。

 ですが,小6から中3にかけて,学力と自尊感情の関連が強まることは気がかりでもあります。中学校3年生といえば,自分の個性をある程度自覚し,自分はどういうことに向いているのか,何が得意なのか,ということに思いを馳せる時期であると思います。自尊心の基盤は,年齢を上がるにつれて多様化していくべきものであり,それが一元化されるようなことはあってはならないと考えます。

 もっとも,今回は,子どもの自尊心と学力の相関関係をみたまでです。前者が,後者以外のさまざまな要因とも関連しているのであれば,どうということはありません。しかし,もっぱら学力とだけ相関しているというならば,それは問題というべきでしょう。子どもの自尊心の規定要因というのも,教育社会学の重要な主題であると存じます。長期間の学校教育を経て,劣等感を植えつけられた人間が大量生産されることは,何とももったいないことであるからです。

2011年6月21日火曜日

子どもの自尊心

 日本の子どもの自尊感情(self-esteem)は,他国と比べて低いといわれています。学校において繰り返しテストの機会にさらされ,そこで悪い点ばかり取っているうちに,「自分はダメなのだ」という劣等感を植えつけられる子どもが多い,ということでしょう。

 しかるに,学校のテストは,子どもの理解度を測定し,今後の指導の改善に役立てるためのものです。できる子とできない子を選り分けることが主目的ではありません。ですが,実際のところ,前者よりも後者が前面に出されることがしばしばです。教科書レベルの簡単な問題では「選り分け」の機能が果たせないので,それを可能ならしめる奇問難問が出され,無理やり,「できない子」が作りだされている,というのが実情でしょう。こうした傾向は,学年を上がるほど濃厚になっていくものと思われます。

 文科省の『全国学力・学習状況調査』では,対象者に,「自分には,よいところがあると思うか」と尋ねています。2010年度調査の結果でいうと,この問いに対し,「あてはまる」ないしは「どちらかといえば,あてはまる」と答えた者の比率は,公立小学校6年生で74.4%,公立中学校3年生で63.1%です。小6から中3にかけて,肯定率が10ポイント以上下がります。

 さて,このような子どもの自尊心の多寡が,どういう要因とつながっているのかに興味が持たれます。私は,このことを考えるための一助として,上記の設問への肯定率を,都道府県別に出してみました。公立学校のものです。以下に,一覧表を示します。
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/06todoufuken_chousakekka_shiryou.htm


 全国値は,先ほどみたように,小6が74.4%,中3が63.1%です。しかし,県別にみるとかなり異なり,小6では,最高の宮崎(80.7%)と最低の北海道(68.8%)まで11.9ポイントの開きがあります。中3では,最高の群馬(69.0%)と最低の大阪(55.6%)とでは,13.4ポイント違います。ちなみに,差の規模を測る標準偏差を出すと,小6で2.59,中3で3.35です。子どもの自尊心の地域差は,小学生よりも中学生で大きいようです。

 はて,子どもの自尊心が相対的に高い県は,どういう県なのでしょう。下図は,中学校3年生の自尊感情を地図化したものです。


 上表の肯定率に基づいて,各県を2%刻みで塗り分けています。黒色の高率地域は,秋田,山形,群馬,富山,福井,長野,および愛媛です。白色の低率県の分布をみると,近畿圏が真っ白に染まっているのが注目されます。

 子どもの自尊心と関連する要因として,まず思いつくのは学力です。個人単位でいえば,学力が高い子どもほど自尊感情が高い,という仮説を立てることができます。上記の地域単位の統計をみても,秋田や福井など,学力テストで上位の県が,子どもの自尊感情の上位県に含まれています。

 しかるに,学力と自尊心が過度に結びついていることは,子どもの自尊心の拠り所が,ペーパーテストで測られる教科の学力という,狭小の部分に一元化されていることを意味します。個性重視の教育の必要がいわれる昨今にあって,これは何とも悲しいことです。

 次回において,子どもの自尊心と学力はどれほど相関しているか,また相関の仕方が学年を上がるにつれてどう変わるか,ということを県単位の統計から明らかにしてみようと思います。

2011年6月19日日曜日

若者の職業別自殺率

 自殺率を年齢層別にみると,その絶対水準が高いのは高齢層ですが,ここ数年の増加率という点でみると,若者で高いようです。今年の元旦の記事では,30代の自殺者数が大きく増えていることを明らかにしました。

 ところで若者といっても,いろいろな輩がいます。職に就いている者もいれば,無職の者もいます。就業者のうちでみても,どういう職に就いているかはさまざまです。今回は,25~34歳の若者について,職業別の自殺率を出してみようと思います。なお,自殺率は性差が大きいので,ここでは男性に限定することとします。

 まず,総務省『国勢調査』の結果を使って,この年齢層の職業構成が,1995年と2005年でどう変わったかをみてみましょう。『国勢調査』では,就業者の職業を10の大カテゴリーに分けて集計しています。一番最後の「無職」とは,総人口から,これら10カテゴリーの合計を引いたものです。その主な組成は,完全失業者,学生,主夫,そしてニートです。


 上図によると,無職者の比重の増加が明らかです。1995年の7.3%から2005年の18.1%へと増えています。失業者の増加という理由のほかに,学生や就労意欲のないニートの増加ということも考えられましょう。この10年間で,大学院進学者が増えていますので,この年齢層でも,学生は少なからずいるものと思われます。

 就業者の職業については目立った変化はありませんが,専門職,事務職,販売職のようなホワイトカラー職従事者の比重が減じています。これら3者の合計は,1995年では46.1%でしたが,2005年では35.9%と,10ポイント以上の減です。最近の不況により,これらの職種の就く機会が減っていることだと思います。

 では,上記の諸カテゴリーについて,自殺率を計算してみましょう。分子の職業別自殺者数は,自殺予防総合対策センターが公表している,1995年度と2005年度のものを使います。同センターは,国立精神・神経医療センターの内部に設置されている,公的な機関です。分母は,先ほど用いた『国勢調査』の数字を使います。
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/genjo/toukei/index2.html


 まず,最下段の全体の自殺率をみると,19.6から31.1に増えています。1.6倍の伸びです。自殺率の絶対水準をみると,「分類不能・不詳」というカテゴリーの自殺率が飛びぬけて高くなっています。2005年の10万人あたり385人ということは,0.385%≒0.4%です。年間,250人に1人が自らを殺めていることになります。

 『国勢調査』の説明によると,「分類不能・不詳」の職業とは,「主に記入不詳の理由により,いずれの項目(職業)にも分類しえないもの」と説明されています。おそらく,細切れの臨時雇いなど,不安定な職業(就労形態)が多いものと推察されます。2005年でみて,この層は全体の1.6%しかいませんが,この極少の部分に,若者の職場の病理が濃縮されているように感じます。

 次に自殺率が高いのは,無職者です。しかし,この10年間で率は大きく減っています。おそらく,学生が増えたためでしょう。就労意欲があるのに働けない完全失業者だけをとれば,自殺率はぐんと高くなることと思います。

 あと一点,特記しておくべきことは,この10年間の増加率でみると,専門・管理職が最も大きい,ということです。医者や教員,技術者など,高度な知識・技術を要する,文字通りの専門職です。給与などの待遇は,上記の職種の中で,最もよいことでしょう。しかるに,責任の重さや,職場が高密度に管理化されていることなど,この種の職業ならではの悩みやストレスも大きいことでしょう。教員の精神疾患や離職の問題については,このブログで繰り返し明らかにしたところです。

 若者にとって,職場は生活構造の重要な部分を占めています。この環境がはく奪されることが,彼らにとっていかに痛手であるかがうかがわれます。機会をみつけて,今度は,家族集団を持っているかどうか,つまり配偶関係別に自殺率がどう異なるかを調べてみようと思います。

2011年6月17日金曜日

成人の通学②

 前回の続きです。今回は,東京都内49市区の成人の通学人口率が,各地域の高学歴住民率とどういう相関にあるのかを明らかにします。仮に正の相関である場合,生涯学習への参加者(life-long learner)の属性が高学歴層に偏していることを意味し,子ども期の教育格差の是正という,社会的公正の機能がないがしろにされていることが懸念されます。

 通学人口率とは,2005年の『国勢調査』の統計において,「通学のかたわら仕事」あるいは「通学」というカテゴリーに括られる人間の数が,ベースの人口に占める比率です。ここでいう成人とは,30歳以上とします。都内49市区全体の値は,1万人あたり29.1人でした。でも,市区別にみると,最大の74.0人(文京区)から最小の昭島市(16.3人)まで,大きな開きがあります。

 この指標との相関を分析する,高学歴住民率とは,各地域の学卒人口に占める,大学・大学院卒業者の比率です。統計の出所は,2000年の『国勢調査』です。2005年の国調では,対象者の学歴について調査されていないので,2000年の統計を使います。この指標の値も,49市区別にみるとかなり差があります。


 上図は,2つの指標の相関図です。残念ながら,正の相関という,危惧した結果が出ています。高学歴人口が多い地域ほど,通学人口率が高い傾向が明瞭です。相関係数は0.651であり,1%水準で有意です。通学人口率が際立って高い文京区と新宿区を「外れ値」として除外すると,相関係数は0.733にもなります。

 アメリカのピーターソンは,"Education more Education"という法則があると指摘しています。直訳すると,「教育が教育を呼ぶ」ということですが,ここでの文脈に沿うようにいいかえると,既に高学歴を得ている者ほど,成人後の学習を継続する可能性が高い,ということでしょう。

 人生の初期に多く学んでいる者ほど,学習へのレディネスができているのですから,当然といえば当然です。しかるに,子ども期の教育格差が,生涯学習を通じて拡大再生産されるというのは,いかがなものでしょうか。

 2010年の統計によると,大学院修士課程入学者の9.6%,博士課程入学者の32.7%,専門職学位課程入学者の40.6%が社会人となっています(文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』)。実数にして合計すると,およそ1万7千人です。この1万7千人のほとんどが,既に高い学歴も持っている高学歴者なのではないかと推察されます。

 生涯学習とは,各人が「自発的な意志」に基づいて,生涯にわたって学ぶことです。不登校の子どもを無理やり学校に引っ張っていくがごとく,低学歴の者に対し,生涯学習への参加を強制するわけにはいきません。しかし,諸々の啓発活動や情報提供を行うことは可能です。いわゆる,「アウトリーチ政策」です。

 18歳人口が減少するなか,大学は今後,成人学生を顧客に据えざるを得なくなってくるでしょう。その際,生涯学習には,社会的公正の実現という機能が期待されていることを勘案し,上記のようなアウトリーチ政策にも力を注いでいただきたいと思います。そのような実践的努力の積み重ねが,真の意味での「学習社会(learning society)」の実現につながることでしょう。

2011年6月16日木曜日

成人の通学①

 「生涯学習」という言葉をご存じでしょうか。英語でいうと"life-long learning",字義通り,生涯にわたって学習する,という意味です。教育を受けることや学習をすることは,人生の初期(子ども期)で完結するのではなく,人は生涯にわたって学び続ける存在である,という考えが根底にあります。

 以前は「生涯教育」といっていましたが,それだと,人間を生涯にわたって管理するというような,上からの押し付けという感が強いので,現在では「生涯学習」といわれるようになっています。「学習」という言葉が使われることで,人間の主体的・能動的な側面が強調されています。

 現在のような変動の激しい社会では,子ども期に学校で学んだ知識や技術は直ちに陳腐化してしまいます。社会の変化に適応していく(追いついていく)ためにも,現代人は,生涯にわたって絶えず学習をする必要に迫られている,といえましょう。これは社会的な要因ですが,個人の側にしても,余暇時間が増えるなか,学習や創作活動などを行うことにより,自己実現を図りたい,という欲求が高まっているものと思います。

 このような背景から,人々の生涯学習を支援・推進すべく,さまざまな施策が打ち出されています。臨時教育審議会が,21世紀の教育改革の目玉ポイントの一つとして,「生涯学習体系への移行」の方針を明言したのは,1987年のことです。その後,1990年に生涯学習振興法が制定され,生涯学習推進のための都道府県の施策等について規定されました。最近では,2008年2月の中央教育審議会答申にて,「学習成果の評価の社会的通用性の向上」など,国民の生涯学習を支援するためのより具体的な方策が提言されています。

 こうした状況のなか,生涯にわたって学習活動に励む人間の数も増加していることでしょう。大学や大学院への社会人入学者なども,以前よりかなり増えているものと思います。しかるに,注意すべきことは,生涯学習への参加は,各人の自発的意志にもっぱら委ねられていることです。放置するならば,生涯学習に参加する人間の社会的属性が著しく偏る恐れがあります。具体的にいうと,富裕層や高学歴層への偏りです。

 生涯学習というのは,人々が「自発的な意志」に基づいて,生涯にわたって学ぶことなのであるから,このようなことは問題にすべきではない,といわれるかも知れません。しかるに,生涯学習政策は,子ども期に何らかの事情で教育機会に恵まれなかった人々対し,「学び直し」の機会を与えるという,社会的公正の機能を果たすことが期待されています。このような見方からすると,生涯学習への参加者の属性が(富める者)に偏るというのは,望ましいことではないでしょう。生涯学習によって,教育格差が是正されるのではなく,拡大再生産されていることになるからです。

 はて,実態はどうなのでしょう。総務省の『国勢調査』は,人口の労働力状態について調べています。最新の2005年調査によると,30歳以上の成人のうち,「通学のかたわら仕事」あるいは「通学」というカテゴリーに含まれるのはおよそ14万人です。30歳以上の成人人口(8,757万人)に対する比率は,1万人あたり16.0人となります。成人1万人につき16人が,大学などの組織的な教育機関で学んでいることになります。%(100人あたり)にすると,0.16%です。

 私は,この比率(以下,通学人口率)が地域によってどう違うかを明らかにしました。私が調べたのは,東京都内49市区の,成人(30歳以上)の通学人口率です。統計の出所は,上記と同様,2005年の『国勢調査報告』です。49市区全体の通学人口率は,1万人あたり29.1人でした。先ほどみた全国値(16.0)よりもかなり高くなっています。ですが,49市区別にみると,成人の通学人口率はかなり違います。下図は,率の高低に依拠して,各地域を塗り分けたものです。


 49市区中の最大値は文京区の74.0人,最小値は昭島市の16.3人です。通学している成人の比率に,4倍以上の差があります。通学人口がベースの人口1万人あたり45人を超えるのは,豊島区,文京区,そして国立市です。人口1万人あたり20人に満たないのは,足立区,青梅市,昭島市,福生市,東大和市,武蔵村山市,あきる野市,です。

 むーん。通学人口率が高いのは,どうも,住民の学歴構成が高い地域であるような気がします。仮にそうであるならば,上述したような,生涯学習への参加者(life-long learner)の属性の偏りが,地域単位の統計から実証されることになります。

 長くなりましたので,この辺りで止めにしましょう。次回は,各市区の成人の通学人口率が,高学歴住民率とどう相関しているかを明らかにしようと存じます。

2011年6月14日火曜日

いじめ容認率の解析

 4月11日の記事で,中学生のいじめ容認率がどれほどかを明らかにしました。2010年度の文科省『全国学力・学習状況調査』の結果によると,公立中学校3年生の値は,8.7%でした。およそ11人に1人が,いじめを容認しているわけです。

 ここでいう,いじめ容認率とは,「いじめは,どんな理由があってもいけないと思うか」という問いに対し,「あまり当てはまらない」ないしは「当てはまらない」と答えた者の比率です。

 ところで,いじめ容認率が高いのはどういう属性か,ということも気になります。上記の文科省の調査から,学校の設置主体別,地域類型別に,いじめの容認率を知ることができますので,それをご覧に入れます。2009年度調査の数字です。2010年度調査から抽出調査となり,サンプルが少なくなった関係上,こういう細かい分析はなされていないようです。よって,悉皆調査の最後となった,2009年度調査の結果をみることにします。
http://www.nier.go.jp/09chousakekkahoukoku/index.htm


 上表は,調査対象の小学校6年生,中学校3年生について,属性別に値を出したものです。まず,国公私別にみると,小6では大差ないですが,中3になると,国私と公とで差が出るようになります。私立中学校3年生では,いじめを容認する生徒が13.5%います。およそ7人に1人です。地域類型別にみると,予想されることですが,田舎よりも都会で,いじめを容認する児童・生徒が多いようです。

 しかしまあ,国立や私立の中学生で,いじめ容認率が高いことが注目されます。2010年度の統計によると,中学生全体に占める,国立・私立生の比率は8.1%です(東京は27.1%)。量的にはマイノリティですが(東京は別),彼らに,どういうメンタリティが植えつけられているかが気がかりです。幼少の頃からあくせく塾通いし,受験勉強にどっぷりつかることで,競争的なメンタリティが育まれてしまっているのでしょうか。

 ここで「塾通い」という言葉が出ましたが,6月9日の記事で,都道府県別の通塾率を明らかにしました。4月11日の記事では,いじめ容認率を,同じく県別に算出しています。私は,両者の相関関係をとってみました。双方の指標とも,公立中学校3年生のもので,2010年度の文科省『全国学力・学習状況調査』から計算したものです。下図は,相関図です。


 図によると,塾通いをしている生徒が多い県ほど,いじめ容認率が高い傾向にあります。相関係数は0.583で,1%水準で有意です。両指標の正の相関関係を考えると,幼い頃より塾通いを経験したであろう,国・私立中学生において,いじめ容認率が高い,というのも分かる気がします。

  もっとも,通塾率,いじめ容認率とも,都市的な環境と深く関連しています。よって,上図の相関は,単なる疑似相関であるのかも知れません。しかるに,疑似相関であると言い切ることもできません。私は,上記の相関は,因果関係的な面を持っているのではないか,と思います。

 前回みたように,県レベルの統計でみる限り,通塾率と学力の間に正の相関はありません。その一方で,通塾率は,子どもの人格の歪みを表す指標と関連しています。「食育」,「早寝早起き朝ごはん」,「ライフ・ワーク・バランス」などの言葉に象徴されるように,基本的な「生」を見直すことが求められている今日,子どもの世界で,過度の塾通いが蔓延することは好ましくない,と私は思います。

 しかるに,これから少子化が進むにつれ,数の上で少なくなっていく子どもを,多くの教育関係者が奪い合う,というような構図になっていくでしょう。今から50年後には,子どもの数よりも,教育関係者(学校教員,学習塾従業者,教育評論家…)の数のほうが多くなるかもしれません。「教育過剰社会」の到来です。公表されている統計資料を使って,でき得る限りの将来予測を手掛けてみようと思っています。

2011年6月12日日曜日

通塾と学力の相関

 6月9日の記事では,各県の通塾率を明らかにしました。興味が持たれるのは,この通塾率の高低が,各県の子どもの学力とどう関連しているかです。

 文科省の『全国学力・学習状況調査』では,生活状況に関する設問への回答と,教科の成績との相関係数が示されています。これは,個人単位で計算されたものです。しかるに,各人の通塾状況と教科の成績との相関係数は明らかにされていません。これは,通塾状況の設問の選択肢が,連続量になっていないためと思われます。1.「通っていない」,2.「学校の勉強より進んだ内容や難しい内容を勉強している」,3.「学校の勉強でよく分からなかった内容を勉強している」…というように。

 よって,通塾と学力の関連をみるには,県レベルのマクロデータを使用せざるを得ないことになります。私は,2010年度調査の県別の結果を使って,この両者の相関をとってみました。通塾率は,先の記事で明らかにしたものです。学力は,各教科の平均正答率(%)です。教科の内訳は,小学校6年生は,国語A,国語B,算数A,算数B,です。中学校3年生は,国語A,国語B,数学A,数学B,です。Aは知識を問うもの,Bは活用を問うものです。ここで用いるのは,公立学校のデータであることを申し添えます。
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/index.htm

 まずは,上記の各教科の正答率が県によってどれほど違うかを概観することから始めましょう。下表をみてください。


 表には,47都道府県間の極差(=最大値-最小値)と標準偏差が示されています。これらの値によると,国語よりも算数,AよりもBにおいて,地域差が大きいようです。また,全体的に,小6よりも中3で差が大きくなっています。最も地域分散が大きい,中3の数学Bでいうと,最大の52.9%から最小の30.0%まで,22.9ポイントも平均正答率が開いています。前者は福井,後者は沖縄です。

 では,こうした平均正答率の違いが,各県の通塾率とどう相関しているかをみてみましょう。まずは,小6について,通塾率と国語Aの正答率の相関をとってみます。下図は,その相関図です。

 
 図をみると,傾向としては,負の相関です。塾通いをしている子どもが少ない県ほど,学力が高い傾向にあります。相関係数は-0.403で,1%水準で有意と判定されます。図をみても,通塾率が最も低い秋田が,正答率では最上位にあることが注目されます。

 これは,小6の国語Aとの相関ですが,他教科との相関もとってみましょう。すべてについて,相関図を描くのは煩雑ですので,下表に,相関係数のみを掲げます。


 通塾率と正答率の相関は,中3の数学を除いて,軒並み負の相関です。相関係数の絶対値は,算数(数学)よりも,国語で高くなっています。国語の学力向上には,塾通いよりも,日々のゆとりある生活の中での読書というような要因の寄与が大きいのではないでしょうか。

 いずれにせよ,常識的に予想されるような,塾通いと学力の正の相関は見出されませんでした。学力と正の相関関係にあるのは,表の右欄の朝食摂取率のような指標です。この指標は,「朝食を毎日食べているか」という問いに,「している」あるいは「どちらかといえば,している」と答えた者の比率(%)です。5月17日の記事でみた,朝食欠食傾向児出現率を裏返したものです。

 ここで明らかにしたのは,単なる相関関係であり,これが因果関係であると断定するには,他の要因をも取り込んだ重回帰分析の結果を待たねばなりません。しかるに,上記の関係が因果関係である可能性がある,という前提を置いてコメントをするならば,やはり,「基本的な生」が重要である,ということでしょう。

 寝る,食べる,遊ぶ,学ぶ,交流する…何のことはありません。ただ,フツーに生きる,というだけのことです。受験一辺倒の学力ではなく,近年,文科省が重視しているような「確かな学力」(知識や技能はもちろんのこと,これに加えて,学ぶ意欲や自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの)を身につけるには,今述べたような要素からなる「基本的な生」をバランスよく営むことが重要かと思います。

 過度の塾通いは,この中の「学ぶ」の領域のみを肥大させ,他の領域を侵食してしまう恐れがあります。通塾率と学力の負の相関は,このような面から解釈できるのではないかと,私は思います。

2011年6月10日金曜日

5月の自殺者急増

 今回は,各県の通塾率と子どもの学力の相関をみるつもりでしたらが,すみません。タイムリーな話題を入れさせてください。

 6月7日の警察庁の発表によると,今年5月の自殺者数(速報値)が,昨年5月のそれよりも大幅に増えたのだそうです。昨年は2,782人でしたが,今年では3,281人となっています。409人増加,倍率にすると1.18倍です。資料は,下記サイトの「平成23年の月別の自殺者数について」(PDFファイル)というものです。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm


 昨年と今年の月別の自殺者数をグラフにすると,上図のようになります。今年の5月になって,急に3,000人を超えています。1月から3月までの数は,昨年を下回っていましたが,4月と5月では,それを凌駕しています。3月11日に起きた東日本大震災との関連があるのでしょうか。

 ですが,被災した東北の県で自殺者が大幅に増えているかというと,そうでもありません。下の地図は,今年の5月の自殺者数が昨年5月の何倍になったかという,増加倍率を県別にみたものです。なお,警察庁が発表している県別の自殺者数は,発生地主義のものであることを申し添えます。たとえば,東京の人間が北海道まで出向いて,そこで自殺した場合,北海道の自殺者として計上されます。


 倍率の全国値は,さきほど示したように1.18倍です。これを県別に出すと,最も高いのは和歌山で2.24倍です。当県では,17人から38人に増えています。その次は沖縄で2.19倍です。次に香川の1.67倍,奈良の1.62倍と続きます。

 これだけをみる限り,今回の大震災との関連は明確ではありません。内閣府は,「雇用環境の悪化で,特に50歳代の男性が多い」,という見解を表明しているようです。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20110610-OYT8T00011.htm

 震災後,企業の倒産や雇い止めが増え,失業率も昨年の同時期に比べたら高まっていることと思います。この点については,被災地であるか否かを問わず,どの地域でも同じでしょう。今年の月別の失業率は,もう公表されたのかしらん…。

 5月の自殺者急増の謎を探るには,どの層で自殺者が増えたかを追求する必要があります。内閣府も,上記のような年齢層別の統計を持っているのなら,それを公表してほしいです。

 警察庁の公表資料から,性別の数は知ることができます。それによると,男性の自殺者は1.11倍(1,989人→2,210人),女性の自殺者は1.35倍(793人→1,071人)に増えています。増加倍率は,女性のほうが高いようです。しかるに,これだけからは何ともいえません。高齢女性の自殺者増ということでしょうか…

2011年6月9日木曜日

都道府県別の通塾率

 今日の子どもの多くは,学校のほかに,学習塾という「第2の学校」に通っています。2月12日の記事では,文科省の調査データから,学年別の通塾率を明らかにしました。今回は,都道府県別の通塾率を明らかにしようと思います。

 各県の教育関係者にとって,自県の子どもがどれほど通塾しているか,ということは大きな関心事でありましょう。しかるに,都道府県別の通塾率の統計は,あるようでないのです。ググれば一発で何かの(公的な)情報が出てくるかと思いきや,そうではありませんでした。

 いろいろと探査した結果,文科省の『全国学力・学習状況調査』において,対象の児童・生徒に,通塾しているかどうかを尋ねていることが分かりました。同調査では,「学習塾(家庭教師を含む)で勉強していますか」という設問を設けています。

 2010年度調査でいうと,この設問に対し,「学習塾に通っていない」と答えた者の比率は,公立小学校6年生で52.6%,中学校3年生で36.9%です。ということは,通塾している者の比率は,前者で47.4%,後者で63.1%,ということになります。この値を通塾率とし,県別に数字を出してみました。統計を閲覧できるURLを貼っておきます。
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/index.htm


 グラフにすると煩雑で見にくいので,元データの表を掲げます。予想されることではありますが,通塾率にはかなりの都道府県差があるようです。小学校6年生では,最も低い秋田(21.8%)と最も高い神奈川(56.9%)では,35ポイントも開いています。中学校では,最小の岩手(32.7%)と最高の神奈川(73.2%)では,40ポイントも違います。中学校3年生の通塾率が7割を超えるのは,埼玉,神奈川,三重,大阪,兵庫,奈良,および和歌山です。いずれも,大都市やその周辺県です。

 なお,高知では,小6よりも中3の通塾率が低いことが注目されます。中学生になると,通塾率が下がるのです。何か事情があるのでしょうか。


 中学校3年生の通塾率を地図化すると,上記のようになります。首都圏や近畿圏の黒色と,東北の白色のコントラストが目を引きます。都市県で高く,農村県で低いことが一目瞭然です。これはよく知られていることですが,差の規模でみて,高い県と低い県とで,倍以上の開きがあることは,私にとっては発見でした。

 次なる関心事は,こうした通塾率の高低によって,各県の子どもの育ちがどう違うか,ということです。2月12日の記事では,塾通いをしている子どもほど,就寝時間が遅い傾向があることを明らかにしました。これは生活の乱れの側面ですが,はて,学力との関連はどうなのでしょうか。また,4月11日の記事でみたような,いじめに対する意識との相関はどういうものでしょうか。

 県という大きな地域単位の分析であることの限界は承知の上で,次回以降,このようなことを明らかにしてみようと思います。

2011年6月7日火曜日

教員非行

 「少年非行」という言葉はありますが,「教員非行」という言葉があるのかどうか,定かではありません。しかるに,子どもを教え導く存在としての教員にも,悪さをする輩がいます。今回は,そういうワル教員がどれほどいるかを数で把握してみようと思います。

 警察に検挙された教員の数を知るのは難しいので,ここでは,懲戒処分となった教員の数をみてみます。公立学校の教員が,規則違反ないしは,全体の奉仕者にふさわしくない非行をしでかした場合,懲戒処分の対象となります(地方公務員法第29条第1項)。

 最新の2009年度の統計をみると,同年度中に懲戒処分の対象となった公立学校の教員は,565人です(交通事故,争議行為によるものは除く)。この年の公立学校の教員数は916,929人ですから,出現率にすると,1万人あたり6.16人となります。1,623人に1人です。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/1300256.htm

 警察に捕まる少年は,同じく1万人あたりでみて,年間だいたい100人くらいです。それに比せば,教員の非行者出現率は,かなり低いと判断されます。もっとも,そうでなかったら困るのですが…

 では,上記の6.16という出現率を,過去と比した相対水準から評価してみましょう。懲戒処分の対象となった教員の出現率(公立学校)は,1988年度から跡づけることができます。資料は,文科省『教育委員会月報』(第一法規)です。下図は,そのグラフです。1999年度は,広島県で職務命令違反者が大量に出たため,率が急騰します。この年度の率は,突発事情として,除外しています。


 懲戒処分を受けた教員の出現率は,1990年では2.02でした。その後,上昇を続け,2003年度には7.71とピークを迎えます。3倍以上の伸びです。その後はやや低下し,2009年度の6.16に至っています。5月31日の記事でみたように,精神疾患で休職する教員が増えていますが,悪さをする教員も増えています。最近の教員の状況というのは,あまりよいものとは判断されないようです。

 ところで,懲戒処分の事由にはいろいろありますが,その中で多いのは体罰やわいせつです。2009年度でいうと,懲戒処分を受けた565人のうち,体罰によるのは150人,わいせつによるのは138人です。この2つだけで,全体の事由の半分以上を占めています。これらの事由によって,懲戒処分を受けた教員の数を跡づけると,下図のようになります。


 1988年度の数を100とした指数で推移を示しています。わいせつによる懲戒処分対象者の激増が一目瞭然です。10倍以上の伸びです。体罰はおよそ4倍です。もっとも,わいせつ教員の増加は,通告活動の活発化により,以前は闇に葬られていたものが表面化するようになった,ということなのかもしれません。最近,セクハラ相談窓口の開設など,被害を申告しやすい状況が整ってきていますので…。でも,上記のような事態は,看過できるものではないでしょう。

 子どもが性犯罪の被害に遭わないよう,出会い系サイトなどの有害情報を携帯電話から閲覧できないようにする,フィルタリング機能の導入が推奨されています。これは,子どもが被害に遭わないようにする対策ですが,加害者となり得る側には,児童買春をしたらこうなる,18歳未満とは知らなかったという理由づけは通用しないなど,法的な事項に関する研修が必要なのではないでしょうか。

 「児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」の規定など,きちんと知られているのでしょうか。このような法律があるということすら,知られていなかったりして…

2011年6月5日日曜日

博士課程の学生はリッチか?

 水月昭道さんの『アカデミア・サバイバル』(中央公論社,2009年)の225頁に,次のような文章があります。「高学歴ワーキングプア問題は,…(高額の学費を出せる)金持ちが,道楽をやった挙げ句に失敗した,という程度にしかみなされない」。

 博士課程に行くということは,30歳近くまで働かないことを意味します。その間,生計を維持し,さらには大学にかなりの額の学費を納めるのですから,博士課程まで進む院生の家庭というのは,さぞ裕福なのであろう,と世間の人が考えても不思議ではありません。

 水月さんが嘆いているように,無職博士問題は当人の自己責任,彼らに何らかの公的な支援をするなどもってのほか,という見方が強いようです。その根底には,博士課程まで子どもをやれる家庭というのは,富裕層なのであるから,放っていても大丈夫であろう,という考えがあるのかもしれません。

 日本学生支援機構は,2年おきに,学生生活調査を実施しています。そこでは,大学生や大学院生の家庭の年収について調査されています。最新の2010年度調査の結果はまだ公表されていませんので,2008年度調査の結果を引くと,大学院博士課程の学生の家庭の平均年収は746万円だそうです。
http://www.jasso.go.jp/statistics/gakusei_chosa/data08.html

 これは平均値ですが,私は,上記の調査データをもとに,100万円刻みの分布をとってみました。博士課程の学生の家庭と,大学昼間部(以下,学部)の学生の家庭とを比べてみます。


 まず最頻値(Mode)をみると,学部学生は800~900万円の階級に,明らかな山があります。博士課程の場合,中層部に,このような目立った突出はありません。その分,下層部に多く分布しています。年収400万未満の家庭は,学部では全体の13%ですが,博士課程では28%もいます。後者では,学生の4人に1人が,こうした低収入層である,ということです。

 再び平均値に返ると,学部学生の家庭は822万円です。博士課程院生の家庭の平均年収は,それを下回っています。ちなみに家庭の平均年収は,学部が822万円,修士課程が810万円,博士課程が746万円,というように,上に行くほど低くなるという現象がみられます。

 これは,設置主体の構成の違いによるものだ,といわれるかもしれません。学部では大半が私立ですが,修士課程や博士課程では国公立が大きなシェアをしているのは確かです。そこで,設置主体ごとに分けて,同じ比較をしてみました。


 国公立だけでみても,博士課程院生の家庭の年収が最も低くなっています。学部と修士課程はほとんど同じですが,博士課程になると年収がガクンと落ちるのです。逆に,私立では博士課程の値が最も高いようです。学部<修士<博士,という傾向もあります。ですが,博士課程では,私立の院生は全体の4分の1ほどしかいません。よって,全体的な傾向には,マジョリティーを占める国公立のそれが反映されています。

 相対水準でいえば,博士課程の学生は,学部学生よりも貧しいようです。「博士課程の学生=金持ちの道楽者」というイメージは,統計からは,必ずしも支持されません。一昔前ならそうであったのかもしれませんが,博士課程の学生が著しく増えた(増やされた)今日では,彼らの多くが普通もしくはそれ以下の階層の子弟であることがうかがわれます。

 苦境の中で生きてきた者ほど,それを科学の力で告発する学問に関心を持つ,という趣旨のセンテンスを何かの本で読んだ覚えがあります。博士課程には,こういうハングリーな学生もいることでしょう。

 しからば,30歳近くまでの間の生活費や学費をどうしているのかというと,彼らの多くは奨学金を借りています。博士課程の学生なら,月に12万円が貸与されます(第1種奨学金)。これなら,少しのバイトをすれば何とか暮らせます。また,有利子の第2種も併せて借りれば,月に20万円ほど借りることも可能です。博士課程の院生の多くは,このような苦肉の策を講じて,何とかやっている,というのが実情でしょう。ちなみに,2008年度の博士課程院生の奨学金受給率は64.3%だそうです(日本学生支援機構)。

 ですが,この奨学金は給付ではなく貸与です。博士課程修了(退学)後,3~5年の猶予期間の間に正規の研究職に就けなかった場合,悲劇が到来します。総額600万円ほどの借金を,なけなしの収入の中から返済することになります。月に3万円ペースで返す場合,およそ16~17年かかります。かくいう私も,毎月,かなりの額の返済をしています。毎月の末,ドカーンと残高が減った通帳を見るのが辛いのです。

 4月4日の記事において,現在の無職博士数は7万2千人ほどではないかという推計をしました。先ほどの64.3%という奨学金の受給率を乗じると,だいたい4万6千人ほどが,莫大な負債を抱えた「シャッキング」であることになります。今後,この数はますます増えていくでしょう。彼らの多くが普通の階層の人間であることはいうまでもありません。

 このような状況が認識されてきたのか,生活困窮などの理由で奨学金の返済が猶予されるための基準が,最近,やや緩和されたと聞きます。当局には,ますますのご高配を賜りたいところです。

2011年6月3日金曜日

教員の精神疾患②

 5月31日の記事では,精神疾患で休職する教員の出現率がどう推移してきたか,地域別にどう違うかを明らかにしました。今回は,教員の中で,どういう属性から精神疾患者が相対的に多く出ているかをみてみようと思います。

 2009年度の公立学校の本務教員数は916,929人です。学校種ごとの内訳は,小学校が45.1%,中学校が25.6%,高等学校が21.0%,中等教育学校が0.1%,特別支援学校が8.2%,です。一方,同年度中に精神疾患で休職した教員(5,458人)の内訳を出すと,順に,44.2%,29.7%,15.6%,0.1%,10.4%,となります。

 特別支援学校の教員は,教員全体では8.2%しか占めてませんが,精神疾患者の中では10.4%を占めています。後者を前者で除すと1.27です。このことは,特別支援学校の教員からは,通常期待されるよりも1.27倍多く,精神疾患者が出ていることを示唆します。

 この値(精神疾患者中の比率÷教員中の比率)を,精神疾患者輩出率と命名します。私は,それぞれの属性について,この指標を計算しました。教員ならびに精神疾患者の構成の数字は,下記サイトの公表資料の別紙2(PDFファイル)から得ました。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/1300256.htm

 文科省の公表資料には,学校種別,年齢層別,性別,および職種別の数字が載っています。この枠組みに沿ってみていきましょう。下の表をご覧ください。


 まず学校種別にみると,精神疾患者の輩出率が最も高いのは特別支援学校です。障害のある子どもの教育を行う特別支援学校では,通常の学校と異なる,困難な条件でもあるのでしょうか。次いで高いのは中学校です。

 次に年齢層別ですが,50代の高年層から精神疾患者が最も多く出ているようです。以前にみた離職率では若年層ほど高かったのですが,精神疾患の休職率は,年齢を上がるほど高いという,逆の関係がみられます。50代では管理職も多いと思いますが,管理職ゆえの精神的ストレスということでしょうか。しかるに,職種別でみると,校長や副校長等の輩出率は低くなっていますので,そういうことではなさそうです。

 2009年時点の50代教員の多くは,1970年代に入職し,以後,30年以上の教職生活を経てきています。この間,教職の世界は変わりました。近年における変化として,久冨善之教授は,次のようなものを指摘しています。①国民の高学歴化が進み,地域の知識人としての教員の位置が低下した,②学校への父母・地域住民の参画の動き,情報公開法の施行など,教員集団が内向きにまとまった学校運営が通用しない時代の到来,③教員評価の本格化,指導力不足教員排除の動きなど,戦後日本の教職の安定性を支えた枠組みの崩壊,というものです(「日本の教師-今日の教育改革下の教師および教員文化-」『一橋大学・社会学研究』第41号,2003年,150頁)。

 上記の指摘に関連する事実を例示すると,②については,2000年に学校評議員,2004年に学校運営協議会の制度が導入され,学校運営に地域住民が参画するようになっています。③については,教育公務員特例法の改正により,2009年度から,指導改善研修が法定研修に加えられることとなりました。

 思うのですが,こうした変化に最も困惑しているのが,50代の高齢教員なのではないでしょうか。彼らは,長い間,異なる状況下で教職生活を営んできたのですから…近年の状況変化に戸惑っている度合いは,入職したての若年教員よりも,高齢教員で高いと推察されます。
 
 50代の精神疾患者の出現率を県別に出し,各県の学校評価の実施頻度のような指標との相関とってみれば,この仮説を検証できるかもしれません。また,50代の精神疾患者の出現率を,長期的に跡づけることができれば,と思います。しかし,文科省の公表資料からは,これらの作業を行うことはできません。

 高齢教員ほど精神疾患が多いのは,体力の衰えというような生理的要因によるものだ,といわれればそれまでです。でも私は,近年の教員社会の変貌という,社会的な要因が大きいのではないか,と思っています。

2011年6月1日水曜日

職場いじめ

 教員関係の話ばかり続くので,少し話題を変えましょう。今回は,職場でのいじめについてです。子どもの世界でいじめが大きな問題になっていますが,当然,いじめは大人の社会にも存在します。前者は,後者の鏡であるといってもよいでしょう。

 今日,多くの労働者は組織に雇われて働いていますが,個々の労働者と事業主の紛争の解決を円満に行う制度として,「個別労働紛争解決制度」というものがあります。2001年10月より導入されている制度です。

 2011年5月25日の厚労省の発表によると,2010年度中に,各県の労働局などに寄せられた「民事上の個別労働紛争相談」の件数は24万6,907件であり,前年をやや下回ったそうです。もっとも,単純計算して,1日あたり676件もの相談が寄せられているのですから,絶対水準としては,非常に多いというべきでしょう。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001clbk.html

 この相談件数は,制度が導入された翌年の2002年度では10万3,194件でした。2010年度の件数は,これの2.4倍にあたります。しかし,この伸び率は,相談の事由別にみるとかなり違っています。私は,主な事由の相談件数の推移を,2002年度の件数を100とした指数で表してみました。


 先ほどみたように,相談件数全体の伸び率は,2.4倍です。しかし,雇止めやいじめに関連する相談の件数は,この期間中におよそ6倍にも増えています。2010年度の相談件数全体に占める比率は,雇止め関連は4.9%と少ないですが,いじめ関連は13.9%です。解雇関連の相談(21.2%)に次いで,大きなシェアを占めるに至っています。

 先にも書きましたが,子ども社会は,大人社会の鏡です。インターネットなどの情報ツールが飛躍的に進化した今日,子どもの世界と大人の世界の境界(ボーダー)は,ほとんど無きに等しい状況です。大人社会の暗部(恥部)は,いとも簡単に子ども社会へと反映されてしまう,といってよいでしょう。

 情報化,ボーダレス化が著しく進行した今日,大人が子どもにしっかりとした範を示すことの必要性が高まっていることと思います。それだけに,上図のような事態は,懸念されるところです。