2011年5月31日火曜日

教員の精神疾患①

 以前,5回にわたって,教員の離職率に関する記事を書きました。離職率は,教員の脱学校兆候や職場不適応の多寡を測る指標として設定したものです。今回は,教員という仕事のキツさ,大変さの程度を測ってみようと思います。教職受難といわれる現在,この側面にも目を向けることが必要かと思います。

 文科省の統計から,精神疾患で休職した教員の率を知ることができます。5月7日の記事で,この指標の悪口を並べ立てたのですが,文科省のサイトや『教育委員会月報』を丹念にみてみると,精神疾患による休職者数についても,細かい属性別に明らかにされていることを知りました。また,1980年代半ば辺りまでさかのぼって,休職者の率を出せることも分かりました。今回と次回にかけて,精神疾患による教員の休職率を分析してみようと思います。

 文科省のサイトの統計によると,2009年度間において,精神疾患で休職した公立学校(小学校,中学校,高等学校,中等教育学校,特別支援学校)の教員は5,458人です。同年の公立学校の本務教員数は916,929人です。よって,精神疾患による休職率は,前者を後者で除して,6.0‰となります。167人に1人です。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/1300256.htm

 私は,1986年度から2009年度までの率の推移を明らかにしました。各年度の休職者数(分子),本務教員数(分母)とも,文科省のサイトや『教育委員会月報』のバックナンバーより得ています。なお,全国の推移線と同時に,大都市の東京のそれも明らかにしています。


 精神疾患による教員の休職率は,1986年では1.1‰でした。10年を経た1995年でも1.3‰です。上昇するのはその後であり,2000年には2.4‰,2005年には4.5‰となり,2009年の6.0‰に至っています。1990年代半ば以降,教職の危機状況が濃厚になってきたことがうかがえます。

 次に,東京の休職率をみると,どの年度でも,全国値より高くなっています。90年代半ば以降上昇する傾向は全国と同じですが,東京の場合,2002年以降,値がグンと伸びていることが特徴です。2002年度の率は3.0‰であったのが,2009年度では9.0‰と,3倍にもなっています。

 この時期,都市部において,学校に理不尽な要求を突きつける「モンスター・ペアレント」が問題化したといいますけれども,そのことの反映でしょうか。東京都教育委員会が,モンスター・ペアレントに関する実態調査の結果を公にしたのは,2008年9月のことです。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr080918j.htm

 2009年度における,公立学校教員の,精神疾患による休職率を県別に出すと,上位5位は,沖縄(11.7‰),大阪(9.4),東京(9.0),広島(8.8),大分(8.1),です。下位5位は,低い順に,兵庫(2.4),山梨(2.7),群馬(2.8),茨城(2.9),および秋田(3.2)です。下に,地図を示します。


 申しておくべきことは,精神疾患による休職率と都市性との間にリニアな相関関係はない,ということです。5月10日の記事でみたように,小学校の若年教員の離職率は,高学歴人口が多い県ほど高い,という傾向がありました。そういう県では,住民の要求水準が厳しい,ということだと思われます。ですが,ここでみている休職率は,各県の高学歴人口率とは無相関でした。

 上記の休職率は,性質を異にする全学校種を一括したものであるためかもしれません。離職率のように,小学校なら小学校だけの休職率が県別に分かれば,何かしらクリアーな傾向が出てくるかもしれません。

 次回は,性別,学校種別,職種別,そして年齢層別の統計をみてみようと思います。*8月29日の記事では,精神疾患を理由とした教員の離職率を明らかにしています。よろしければ,こちらもご参照ください。

2011年5月29日日曜日

小学校教採の合格者

 団塊世代の大量退職により,競争率は低下の傾向にあるものの,教員採用試験が難関であることには変わりありません。この試験を突破して,晴れて教員として採用される者は,どういう人間なのでしょうか。

 いうまでもなく,能力・人物ともに優れた人でしょう。しかるに,このような内面に関する事柄は,マクロな統計から知ることはできません。統計から知り得ることは,採用者の性別,学歴といった,外的な属性です。今回は,小学校教員採用試験を突破して採用に至った人間に,どういう属性の者が多いかを明らかにしようと思います。

 文部科学省のサイトの統計によると,2010年度試験に合格して,公立小学校の教員として採用された者の数は,12,284人です。この12,284人のうち,女性が7,762人で63.2%を占めています。受験者に占める女性の比率は58.4%ですから,男性よりも,女性のほうが合格可能性が高い,といえそうです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1300242.htm

 私は,1980年度から2010年度の小学校教員採用試験について,受験者と採用者の属性構成を調べ,比較してみました。属性の構成は,性別,学歴別,および新卒・既卒別という3つの観点から明らかにしました。2001年度試験以降は,文科省のサイトの統計によります。2000年度以前の試験については,文科省『教育委員会月報』(第一法規)のバックナンバーをさかのぼって,情報を得ました。


 まず性別の構成をみると,小学校ゆえか,受験者,採用者とも,女性が多くなっています。1990年代以降,受験者に占める男性の比率が高くなってきています。近年の受験者と採用者の組成を比較すると,先ほど述べたように,女性のほうが合格可能性がやや高い,といえます。

 次に,2段目の学歴別です。文科省の統計では,教員養成大学卒,一般大学卒,短期大学卒,大学院卒,という4つのカテゴリーが設けられています。わが国の教員養成は,開放制の原則にのっとり,教員養成系大学のみならず,一般大学でも行われています。左側の受験者の構成をみると,以前は,教員養成大学が最も多かったのですが,最近では,一般大学が最多となっています。2010年度試験では,受験者のうち,一般大学卒業生が53.1%を占めています。

 受験者と採用者の学歴構成を比較すると,以前は,教員養成系大学卒業者の合格可能性が明らかに高かったようです。たとえば,1985年度試験では,受験者では39.4%しか占めない教員養成系卒業者が,採用者では63.9%をも占めています。現在でも,程度は減じていますが,教員養成系の有利さは保たれています。

 最後に,新卒か既卒かです。受験者,採用者とも,既卒が圧倒的に多くなっています。新卒者の比率は,採用者のほうで高くなっています。新卒者のほうが,合格可能性が高いことがうかがわれます。

 それぞれの属性の合格可能性は,上記の図にて,受験者と採用者の組成を比較すれば分かります。しかるに,学歴別はやや入り組んでいて,明確な傾向が読み取りにくいので,1つの尺度を出してみます。

 上述のように,1985年度試験では,教員養成系卒業者は受験者では39.4%,採用者では63.9%を占めています。後者を前者で除すと,1.62となります。つまり,教員養成系卒業者からは,通常期待されるよりも1.62倍多く,採用者が輩出されていると考えられます。私は,この値(採用者中の比率÷受験者中の比率)を輩出率と命名し,4つの学歴グループについて,この値の推移をとってみました。


 上図によると,一般大学と短大の卒業者は,輩出率が一貫して1.0を下回っています。これは,採用者の輩出可能性が通常期待されるよりも低い,ということです。輩出率が最も高いのは,教員養成系卒業者です。ピーク時の1984年では,1.73にも達していました。しかし,それ以降低下し,2010年度試験では1.22となっています。大学院は,受験者,採用者とも数が少ないので,曲線が安定しません。参考程度にとどめてください。

 ところで,1990年代後半以降,教員養成系と一般大学の輩出率の差が縮まり,1.0付近に収束しつつあることが注目されます。一般大学ががんばっている,ということでしょう。教員のリクルートのすそ野が広がっていることでもあり,結構なことではないでしょうか。

 今回は,採用時の断面をみたことになりますが,その後の職務遂行のパフォーマンスが,教員養成系出身者と一般大学出身者とでどう違うか,という大変興味ある問題も横たわっています。この問題に対し,マクロな統計から接近できないかと思案しているところです。

2011年5月27日金曜日

小学校の教採競争率の推移

 文科省の統計によると,2010年度の公立小学校教員採用試験の受験者は54,418人(述べ数),うち採用者は12,284人だそうです。よって,競争率は4.4倍となります。

 この競争率は,時系列的にみて,どのように推移してきたのでしょうか。文科省のホームページからは,最近10年くらいのデータしか得られません。教員採用試験の実施状況の統計は,文部科学省が第一法規より出している,『教育委員会月報』という雑誌の秋ごろの号に載っています。私は,この雑誌のバックナンバーをさかのぼり,小学校教員採用試験の競争率を,1975年度試験のものから明らかにしました。

 競争率とは,受験者数と採用者数の2つの要素から決まりますので,率の推移と併せて,これらの要素も観察することが望ましいと思われます。下図は,1975年度から2010年度試験までの,実施状況の統計を図示したものです。


 受験者数や採用者数は,現在よりも,1970年代から80年代のほうが多かったようです。80年代から受験者数が採用者数を上回るペースで減少し,結果,競争率も低下します。1991年には2.8倍と,3倍を割ります。バブル期にあった当時,民間が非常に好景気だったためでしょうか。

 しかし,バブルが崩壊し,平成不況に入るや,受験者数は増加に転じます。一方で,少子化により,採用者数は減っていったので,競争率が加速度的に高まってきます。90年代を経て,2000年には12.5倍にもなります。ちょうど,私が大学を出た頃です。当時の試験の厳しさは,私も肌身で知っています。まさかあの人が…というような人が,試験にガンガン落ちていました。

 その後,受験者は相変わらず増えますが,団塊世代教員の退職者の増加により,採用者数も増えたので,競争率は下降し,2010年の4倍強という水準になっているわけです。

 以上は,全国的な動向ですが,競争率の変化は,地域によって違っています。ここでは,大都市の東京と,2010年度試験で競争率が最高であった青森を比べてみましょう。5月5日の記事でみたように,2010年度試験の小学校教員採用試験の競争率は,東京が3.5倍,青森が25.2倍と,大きく違っています。この差は,どういう経緯を経て形成されてきたのでしょう。


 地域別の競争率は,1980年度試験のものから得ることができました。上図にて,競争率をみると,東京は,全国の曲線と似ています。青森と東京を比べると,前者が後者を追い抜くのは1998年です。東京は,今世紀以降,競争率が下がっているのに,青森のほうは,ぐんぐん伸びています。5月5日の記事で紹介した,両都県の教員の年齢構成からうかがえるように,東京では退職教員が多く,青森ではそれが少ないからです。青森では,最近,受験者数も減っていますが,採用者数のほうはそれを凌駕するペースで減っています。その結果,今日の競争率が大変高くなっている,という具合です。

 いったい,青森の25倍という競争率を勝ち抜いて採用に至った人というのは,どういう人なのかしらん。当県に関する統計はありませんが,全国については,採用者がどういう属性の人かを教えてくれる統計があります。分析してみようと思っています。

2011年5月25日水曜日

大学教員の人口ピラミッド

 ブログのトラフィック・ソースを探るツールで,どういうサイトから本ブログに来ていただいたかを知ることができます。圧倒的に多いのは,「教員&離職」という語で検索して,本ブログの「教員の離職率」という記事がヒットし,閲覧していただいた,というものです。

 他にもいろいろあるのですが,「大学教員&人口ピラミッド」という語での検索結果から,本ブログにお越しいただいた,というケースも結構あります。おそらく,大学教員の年齢構成のピラミッドがどういうものかをお知りになりたいのであろう,と推察します。しかし,これですと,5月4日の「大学の新規採用教員」という記事にいってしまいます。そこで示しているのは,新規採用教員の年齢構成ピラミッドです。

 いささか申し訳なく思いますので,今回は,タイトルのごとく,大学教員の年齢構成が視覚的に分かる,人口ピラミッドをお見せしたいと存じます。2007年10月1日時点のものです。資料は,文科省『平成19年版・学校教員統計調査』です。この資料から,大学教員の数を1歳刻みの年齢別に知ることが可能です。国立大学と私立大学に分けて,双方のピラミッドを作図してみました。ピラミッドは,職名ごとに塗り分けています。


 各年齢の棒グラフの長さは,全教員数に占める百分率を表します。国立大学の母数(=100%)は61,649人,私立大学のそれは94,268人です。ただし,25歳未満は除きます。

 ピラミッドの形は,国私とも,上と下がやせ細り,中間が太い「壺型」を呈しています。私立の場合,定年が遅いので,65歳以上も結構います。その分,私立大学では,若年教員が少ないようです。国立に比した,20~30代のシェアの少なさがよく分かります。

 職名の色分けに注目すると,下から上に開いていく,お花のような模様になっています。教授の赤色ゾーンは,30代後半あたりから出てきます。国立と私立の違いはといえば,紫色の専任講師の比重が,後者ではやや多いことでしょうか。40代や50代になっても,私立では,紫色が目につきます。

 過去との比較をしてませんので,特徴を検出しにくいのですが,教授のシェアの増加,高齢化という言葉で,今日の大学教員集団を言い表すことができるのは,間違いないと思われます。5歳刻みのラフなピラミッドについては,2月4日の記事で,1977年と2007年の比較をしています。そちらも見ていただければと思います。1歳刻みのピラミッドは,最近のものしか描くことができません。

 機会を見つけて,今度は,性別や専攻別に塗り分けたピラミッドを描いてみようと思います。

2011年5月24日火曜日

国立大学医学部入学者

 前回は,大学入学者の現役・浪人構成の変化を調べました。今回は,最難関といわれる国立大学医学部入学者について,同じ事柄を明らかにしようと思います。

 2010年の文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』によると,同年春の,国立大学医学部医学科への入学者は4,380人だそうです。4月26日の記事でみた,東大・京大の推定入学者(6,873人)よりも少なくなっています。同時点の18歳人口に占める比率は,0.36%です。同世代の約278人に1人です。選りすぐりの人たちです。

 この4,380人の組成を百分率で出すと,現役が43.7%,1浪が29.1%,2浪が10.7%,3浪以上(多浪)が15.8%,その他が0.7%,となります。少子化の時代ですが,国立大学医学部入学者では,未だに,浪人経由者のほうが多いのです。前回みた,大学入学者全体の組成との違いが明らかです。


 国立大学医学部への入学者の変化を示すと,上図のようになります。この32年間にかけて,入学者の数はおよそ4,000人前後で一定しています。医師という専門職を,国税を使って養成する機関ですから,定員管理が厳重になされていることがうかがわれます(蛇足:大学院博士課程についても,このように定員管理をしっかりしようという発想はないのかしらん…)。

 それだけに,入試競争は熾烈をきわめるようであり,どの時期でも,入学者の多くが浪人経由者です。3浪以上の多浪生も,常に,1~2割を占めています。国立大学医学部入学者の特性は,ベースの規模をそろえた組成図でみると,もっとはっきりします(下図)。大学入学者全体の組成との違いが,一目瞭然です。


 普通の家庭の子どもが,医師になることを志す場合,国公立の医学部を志望せざるを得ないでしょう。私立の医学部だと,入学から卒業するまでに,何千万という,目玉が飛び出るような高額の学費を納入しなくてはなりません。私立の医学部生の9割近くが,開業医の子弟であるという調査データを,何かの本で目にした記憶があります。

 大学全入といわれますけれども,入試競争の激しさを未だに保っている部分もあるようです。このような部門として,国立の医学部の他に,どういうものが考えられるでしょうか。興味ある問題ですが,そろそろ主題を変えようと思います。

2011年5月22日日曜日

浪人生の減少(続)

 1月7日,「浪人生の減少」という記事を書きました。当該の記事は,18歳人口がピークであった1992年と2010年の大学入学者の組成を比較したものです。今回は,逐年のデータを使って,もっと仔細に,入学者の現役・浪人構成の変化を明らかにしようと思います。

 文科省の『学校基本調査(高等教育機関編)』には,高校の卒業年次別に,大学入学者の数が掲載されています。2010年春の入学者619,119人の組成を百分率で出すと,現役が83.6%,1浪が10.1%,2浪が1.6%,3浪以上(多浪)が1.3%,その他が3.3%,です。その他とは,外国の学校卒業者や大検経由者などです。

 このような細かい組成は,1979年春の入学者までさかのぼって知ることができます。1979年から2010年までの32年間の変化を跡づけてみました。


 この期間中,大学入学者は41万人から62万人へと増えています。その組成をみると,現役生の比重の増加が明らかです。浪人生(1浪~多浪)の占める比率が最も高かったのは,1985年の38.5%です。この年では,入学者の約4割が浪人生だったことになります。しかし,2010年では,この比率はわずか13.1%です。図の左上に,両年の構成図を示しておきました。

 ところで,浪人が多いかどうかは,男女によって相当の違いがあるでしょう。私の周りにも,女子だから浪人はさせられない,と親に言われ,志望ランクを相当落として受験した女子生徒が何人かいました。もっとも,私とて,浪人は絶対に許さんぞ,と釘をさされていましたが…


 上図は,大学入学者の構成の変化を男女別にみたものです。一見して,浪人生の比重は男子で高いことが分かります。1985年では,男子入学者の45%が浪人生でした。2浪も8.3%,多浪も2.6%いました。2010年では,浪人生の率は16.6%になりますが,同年の女子の値(8.5%)に比べれば,高い水準です。

 ともあれ,18歳人口の減少のなか,大学に入りやすくなり,浪人生は減じてきています。この点に関する私の解釈は,1月7日の記事で申し上げた通りです。

 ところで,大学といっても,いろいろなタイプがあります。たとえば,難関といわれる国立大学の医学部などでは,浪人生の比重は未だに高いことでしょう。次回は,この点に関する統計図をお見せしたいと思います。

2011年5月20日金曜日

高等教育機関の休学率

 前回は,大学生の休学率についてみました。休学する学生が全学生に占める率は,年々上がってきていることを知りました。2010年の値は9.7‰(≒1%)という水準でした。

 今回は,大学院,短期大学,そして高等専門学校といった他の高等教育機関についても,同じく休学率を出してみようと思います。休学率とは,その年の5月1日時点の休学者の数が,同時点の全学生数に占める比率のことです。分子,分母とも,文科省の『学校基本調査(高等教育機関編)』より得ています。


 前回と同様,1967年(昭和42年)からの率の推移をとってみました。これをみると,大学院の休学率がダントツで高いことが分かります。前回みた大学の休学率の比ではありません。2010年の大学院の休学率は43.2‰で,大学生の値(9.7‰)の4倍以上です。

 大学院の休学率は,1990年代以降,急上昇しています。1991年に開始された大学院重点化政策により,院生が激増するのと歩を合わせるがごとく,休学率も高まってきています。

 ここでいう大学院の休学率は,修士課程と博士課程をひっくるめたものですが(2003年以降は専門職大学院も含む),休学率は,博士課程で高くなっています。2010年の率を出すと,修士課程は23.6‰,博士課程は92.1‰,専門職大学院は33.1‰,です。

 博士課程では,最短の年数(3年or4年)で学位論文を認めるのはなかなか困難です。最短の年数を超えた場合,学費の節約のため,休学という戦略をとる学生も多いことでしょう。私の先輩にも,そういう人がいました。事実,2010年の博士課程の休学者6,853人のうち,3年次以上の者が86%(5,895人)を占めています(最短年限超過者は,最高学年の者としてカウントされます)。

 博士課程の休学率を,性別と設置主体別にみると,下表のようになります。最新の2010年のものです。


 男子よりも女子で高くなっています。国公私別では,私<公<国,という傾向が明瞭です。国立大学では10.7%,つまり1割が休学生です。私立の率が低いのは,先ほど述べた学費節約の戦略が使えないためでしょうか。

 大学院の休学率が高いであろうことは,前から予想していましたが,他の高等教育機関に比して,これほどまでの差があることは,私にとって発見でした。

2011年5月18日水曜日

大学生の休学

 前期の授業が始まって1月ほどですが,この間に,2人の学生さんから人生?相談を受けました。2人とも,休学しようかどうか迷っているとのことです。

 理由を問うと,1人は,第1志望だった国立大学を再受験するためだそうです。もう1人は,大学が面白くないので,他にふさわしい道がないかどうか,休学してじっくり考えたいとのこと。

 休学とは,学生が一定期間授業を受けない期間に入ることで,それを許可するか否かは,教授会の議を経て,学長が決定することとされています(学校教育法施行規則第144条)。理由としては,病気や留学というものが多いのでしょうが,上記のような不適応や,さらにはアパシーという類も少なくないことでしょう。

 2010年の文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』によると,同年5月1日時点での,大学生の休学者数は27,993人と報告されています。同時点の大学生全体(2,887,414,人)の9.7‰に相当します。%にすると約1%,100人に1人というところです。

 興味本位から,この休学率の時代推移を観察することにしました。この指標は,1967年(昭和42年)から跡づけることができます。


 グラフにすると,上図のようになりました。2010年の9.7‰という値は,過去最高です。休学率は,1990年代後半以降伸びています。日本社会に暗雲が立ち込めてきた時期と一致して,休学率が高まっていることは,あまり積極的でない理由による休学が増えていることをうかがわせます。最近2年間にかけて,値がグンと上昇していることも気になります。

 私は,最近の休学率上昇の内実を考えるため,2008年から2010年にかけて,大学生のどの層で休学者が増えているのかを調べました。性別,大学の設置主体,および学年という観点を設けています。


 まず,最下段の大学生全体の休学者数をみると,この2年間で1.22倍になっています。これを属性にみると,男子学生,私立大生,そして4年生の休学者の増加が目立っています。4年生に多いのは,最近の就職難を反映しているものと思われます。就職留年中の学費節約という目論見でしょうか。

 休学率という指標からも,最近の大学生の状況が良好なものではない,ということが推測されます。大学院や短期大学といった,他の高等教育機関についても同じ指標を計算してみると面白いかもしれません。

2011年5月17日火曜日

朝食を抜く子どもたち

 1月29日,「朝食欠食率」という記事を書きました。そこで明らかにしたのは,最近の20代男性の3割以上が朝食を食べない,ないしは大変横着な形でそれを済ませている,という事実です。はて,子どもについてはどうなのでしょう。

 文科省の『全国学力・学習状況調査』では,対象の児童・生徒に,「朝食を毎日食べていますか」と尋ねています。この設問に対し,「あまりしていない」もしくは「全くしていない」と回答した者の比率は,公立小学校6年生で3.6%,公立中学校3年生で6.7%です(2010年度調査)。このような「朝食欠食傾向児」の比率を県別に出すと,下の表のようになりました。


 小学校6年生は,最低は秋田の1.8%,最高は大阪の5.2%です。中学校3年生では,最低は岩手の3.4%,最高は同じく大阪の10.8%です。大阪の中学校3年生では,10人に1人が朝食欠食傾向児です。なお,小学校から中学校にかけての増加倍率という点でいうと,最も高いのは京都の2.62倍です。京都では,小学生と中学生の落差が大きくなっています。


 中学校3年生の朝食欠食傾向児の比率を地図化すると,上記のようになりました。8%を超える黒色の県は,神奈川,京都,大阪,奈良,和歌山,および高知です。赤色の地域の分布も併せて考えると,朝食を抜く子どもの比重は,都市的な地域で比較的高いようです。核家族化,共働き化が進んでいることの所以でしょうか。こうした条件を持つ(都市的)地域では,学校における食育の重要性が高いといえましょう。

 もっと細かな市町村単位のデータでみれば,貧困というような要因も出てくるかもしれません。1月12日の「健康格差」の記事で,東京都内49市区の肥満傾向児出現率は,生活保護率と関連していることを明らかにしました。子どもの食生活の乱れというのは,自然現象・生理現象のみならず,社会現象としての側面も持っていることを知りました。朝食欠食率についても,貧困指標との結びつきがおそらくあるものと推察されます。

 多額の費用をかけた,せっかくの全国調査です。結果を隅から隅までしゃぶり尽くせるよう,申請すれば,市町村別や学校別といった,細かなデータが使えるようにならないものかしらん…

2011年5月15日日曜日

人口の配偶関係構成

 現在,さまざまな資料がデジタル化されています。私がよく使う,文科省の『学校基本調査』なども,最近10年くらいのものは,同省のホームページにて閲覧することができます。いちいち図書館に行って,分厚い現物をくくって,数字ハンティングする必要はないわけです。

 国レベルの最大規模の社会調査である,『国勢調査』についても然りです。最近気づいたのですが,同調査の場合,デジタル化がさらに進んでおり,1920年(大正9年)の第1回調査の結果までさかのぼって,ホームページ上で見ることができます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL02100104.do?tocd=00200521

 いやはや,便利な時代になったものです。現在,こうした統計資料のみならず,書籍や雑誌論文もデジタル化しようという動きがあります。国会図書館の資料を検索すると,「(デジタル化の)作業中のため使用不可」という表示が多く出るようになりました。現在,修士論文や博士論文を書いている院生諸君にすれば,えらい迷惑ですが,あと少し辛抱すれば,自宅にいながらにして,学術研究ができる時代が到来します。私のような出不精の人間にとっては,この上なく有難いことです。

 さて,上記のサイトにて,1920年の第1回『国勢調査』の統計を何気なく見ていたら,人口の配偶関係構成(未婚,有配偶,死別,離別)が,1歳刻みの年齢別に明らかにされていることを知りました。これを使えば,配偶関係別に塗り分けた人口ピラミッドを作図することができます。私は,この第1回調査と最新の2005年調査の統計を使って,このような図をつくってみました。


 年齢の表記が2歳刻みになっていますが,1歳刻みの統計を使って作図しています。各年齢の棒グラフの長さは,人口全体に占める百分率です。母数(=100%)は,1920年が約5,600万人,2005年が約1億2,600万人です。

 まず,人口ピラミッドの形状は,1920年はピラミッド型,2005年は壺型です。これはよく知られたことですが,その組成を配偶関係別にみると,なかなか面白いです。現在では,青色の未婚のゾーンが,上の年齢帯にまで伸びています。私は34歳ですが,2005年の統計では,この年齢の33%が未婚者です。85年前の1920年では,この年齢では,未婚者はほんの4%しかいませんでした。

 また,最近では,紫色の離別者のシェアが大きくなっていることも注目されます。1920年では,このような離別者はほとんどいませんでしたが,その代わり,死別者が多かったみたいです。30代後半から40代の中年層でも,黄緑色が目立っています。戦争で配偶者と生き別れになった人間も多かった,ということでしょう。

 人口ピラミッドの形状の時代変化は,多くの人が知っていることですが,その組成を調べてみると,興味深いものがあります。回を改めて,労働力状態(就業,失業,家事,通学…)の組成図もご覧に入れようと思います。

2011年5月13日金曜日

教員の離職率⑤

 最近,生活時間が不規則になり,こんな時間にパソコンに向かっています。でも,生活は朝型にしたほうがよいので,今日は,朝一番で新宿の総務省統計局に出かけようと思っています。外出先では,どんなに眠くても昼寝をするわけにはいきませんので,生活リズムの立て直しにはもってこい,というわけです。

 私の場合,統計局の図書館で数字ハンティングをし,データをノートパソコンに打ち込んでいる最中は,眠気を催すことはありません。人からは,異常体質だとよく指摘されます…
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/4.htm

 前回は,学校段階別に教員の離職率を明らかにしました。そこでは,とくに高校教員の離職率が際立って高いことが分かりました。はて,高校教員のどの層の離職が多いのでしょう。今回は,各学校の離職率を,属性別に出してみようと思います。

 離職率とは,2006年度間の離職者数を,2007年10月1日現在の教員数で除したものです。前者の離職者とは,定年や転職といったメジャーな理由ではない,統計上「その他」というカテゴリーに括られた理由による離職者のことです。分子,分母とも,文科省『平成19年度・学校教員統計調査』より得ています。


 各学校の離職率を,性別・年齢層別にみてましょう。小学校については,5月7日の記事でみた通りですが,中学校と高等学校でも,男性より女性,高齢層より若年層で離職率が高い傾向にあります。とくに,高校の若年教員の離職率の高さはすさまじいです。25歳未満では51.2‰,すなわち約5%,20人に1人が理由不詳の離職者です。

 高校では私立校も少なくありませんが,経営難に苦しむ私立高校では,若年教員を任期付き採用にしているケースもあるでしょう。任期満了に伴う離職者が,分子に含まれてしまっている可能性があります。高年層についても,リストラによる離職者が含まれているかもしれません。

 このような可能性を除外するため,公立学校の離職率を比較してみましょう。下表をご覧ください。


 公立学校の統計では,様相が少し違っています。高校の離職率は12.5‰から6.1‰へと急落し,中学校よりも低くなります。高校の離職率の高さは,私立学校の比重の高さによる部分が大きかったようです。でも,25歳未満の離職率の高さは,相変わらず目立っています。

 この点を考えるには,公立高校の若年教員の離職率を県別に出し,要因解析を行うのがよいのでしょうが,公立学校の離職率は,県別には出せません。マクロな統計で明らかにし得ることは,ここまでのようです。ミクロな事例研究の蓄積へと,バトンタッチしたいと思います。

2011年5月12日木曜日

教員の離職率④

 これまでは,小学校教員の離職率をみてきましたが,今回は,他の学校の離職率も出してみようと思います。離職率とは,定年でもない,転職でもない,病気でもない,統計上「その他」というカテゴリーに括られた理由による離職者数が,教員全体のどれほどを占めるか,というものです。教員の脱学校兆候の量を測るために設定した指標です。

 私は,小学校,中学校,高等学校,および特別支援学校について,上記の意味での離職率を計算しました。文科省『学校教員統計調査』に掲載されている数字から,独自に出したものです。


 2006年度間の小学校の離職率は,既にみたように7.8‰です。しかし,中学校では9.2‰,高等学校では12.5‰,というように,学校段階を上がるほど率が高くなります。障害のある子どもの教育を行う特別支援学校の離職率は,小学校とほぼ同じです。

 高等学校の率が高いことが注目されます。はて,この水準は,長期的な推移に照らしても高いものなのでしょうか。前々回みたように,小学校の離職率については,そうではなかったのですが…


 上図は,学校段階別に離職率の推移をみたものです。3年おきになっているのは,上記の文科省調査が,3年おきの調査であることに由来します。

 図をみると,小学校と中学校のピークは1982年度ですが,高校の場合,この年に山がありません。当時は校内暴力の嵐が吹き荒れた頃であり,小・中学校と同様,高校も危機的な状況にあったと思うのですが,少し意外です。問題生徒はガンガン退学させる,というような措置をとっていたのでしょうか。ちなみに,公立の義務教育学校では,児童・生徒を退学させることはできません。

 1990年代半ば以降,どの学校でも離職率が伸びるのですが,それが最も顕著なのは高校です。1994年度の6.7‰から2006年度の12.5‰まで上昇しています。その結果,離職率の水準は,小<中<高,という形になっています。高校の場合,2006年度の離職率は,過去との対比でみても最高と判定されます。

 高校では,私立学校も少なくありませんが,近年の少子化傾向のなか,生徒が集まらず経営難に陥っている学校も存在することでしょう。リストラによる離職は,統計上は「その他」という理由に括られる,ということでしょうか。でも,高校教員の離職率を地域別に計算すると,私立学校がほとんどないような県の離職率が高い,というケースも見受けられます。

 次回は,各学校の離職率を属性別に明らかにしてみようと思います。

2011年5月10日火曜日

教員の離職率③

 近年,小学校教員の離職率が伸びているのですが,とくに,若年教員において,その傾向が強いようです。今回は,20~30代の若年教員の離職率が高いのは,どういう地域かを明らかにしようと思います。

 私は,2006年度間における,20~30代の小学校教員の離職率を,都道府県別に明らかにしました。ここでいう離職率とは,2006年度間における理由不詳(「その他」)の離職者数を,2007年10月1日時点の教員数で除したものです。統計の出所は,文科省『学校教員統計調査』です。

 なお,分母の教員数は公立学校のものであることを申し添えます。各県の年齢別の教員数は,公立学校のものしか掲載されていませんでした。小学校の場合,国私立学校はとても少ないので,このような便法をとっても大勢に影響はないと思われます。

 東京都の場合,分子の離職者数は136人,分母の教員数は11,286人ですから,離職率は12.1‰と算出されます。全国値(12.4‰)よりもやや低くなっています。他の県では,どうなのでしょうか。47都道府県の離職率の値を地図化しました。


 5‰ごとに塗り分けています。20‰(=2%)を超える高率地域は,千葉,神奈川,山梨,愛知,奈良,和歌山,徳島,そして福岡の8県です。最も高いのは,福岡で37.1‰にもなります。逆に最も低いのは,秋田と高知の0‰です。この2県では,2006年度間に,理由不詳の離職者は1人もいませんでした。

 はて,若年教員の離職率が高い県とは,どういう地域なのでしょう。昨年12月25日の朝日新聞に,精神疾患による教員の休職率の記事が出ていましたが,都市的な地域の率が率が高いことについて,久冨善之教授は,「教員より学歴が高い保護者が多く,学校への要望が厳しいことも,率を引き上げているのではないか」と指摘しています。

 この伝でいうと,高学歴人口が多く,学校への要求が厳しいような県において,ここでみている離職率も高いものと推察されます。この仮説を検証してみましょう。

 私は,2000年の『国勢調査報告』の統計から,大学・大学院卒の学歴を持つ者が,学校卒業者全体に占める比率を,都道府県別に出しました。この値の地域差をみると,最も高い東京の24.2%から,最も低い青森の7.2%まで,大きな開きがあります。東京では,住民の4人に1人が高学歴者ですが,青森では14人に1人という具合です。この高学歴人口率と,先ほど明らかにした若年教員の離職率の相関関係を調べました。


 上図は,両指標の相関図です。傾向としては正の相関です。相関係数は0.304であり,47というサンプル数を考慮すると,5%水準で有意であると判定されます。ちなみに,離職率が際立って高い福岡と徳島の2県を「外れ値」として除外すると,相関係数は0.491に跳ね上がります。1%水準で有意です。

 傾向としては,高学歴の住民が多い県ほど,若年教員の離職率が高いようです。2006年5月,採用されて間もない23歳の女性教員が自殺するという事件がありましたが,その原因として,保護者にいろいろと言われた,というようなことがあったそうです。

 こうみると,久冨教授の指摘も,さもありなん,という感じです。現在,教員養成の期間を6年に延長し,教員志望者には修士の学位を取らせようという案が出ています。社会全体の高学歴化に対応すべく,教員の学歴水準を一段高くし,威厳の基盤を確保しよう,という意図があってのことと思われます。

 もっとも,若年教員の離職率を規定するのは,住民の高学歴化というようなものだけではないでしょう。教員組織に占める若年教員の比重,教員養成系大学出身者の比重,教員の給与水準,さらには教育委員会の管理の度合いなど,他にもいろいろな要因が想起されます。これらをすべて取り込んだ重回帰分析を,機会を見つけて手掛けてみようと思います。

2011年5月8日日曜日

教員の離職率②

 前回の続きです。今回は,小学校教員の離職率の時代推移をみてみようと思います。ここでいう離職率とは,定年でも転職でも病気でもない,「その他」というカテゴリーに括られた理由による離職者が,全体のどれほどを占めるか,というものです。詳しい計算方法については,前回の記事をご覧ください。

 この指標は,教員の脱学校兆候や職場不適応の量的規模を測るために設定したものです。文部科学省『学校教員統計調査報告』に掲載されている統計から,独自に算出しました。


 上図は,1979年度から2006年度までの離職率の推移をとったものです。2006年度の7.8‰という値は,史上最高というわけではなさそうです。1980年代前半あたりの離職率が高かったことが分かります。1982年の離職率は13.2‰です。この時期は,全国的に校内暴力の嵐が吹き荒れた頃かと思いますが,そうした危機状況を受けてのことでしょうか。

 その後,離職率は減少しますが,90年代後半から上昇に転じ,今日の水準に至っています。なお,男女差が大きいことも注目に値します。2006年度では,男性は4.8‰,女性は9.6‰で,ちょうど倍の開きが出ています。女性は,結婚退職が多いのではないかといわれるかもしれませんが,両性の曲線が近似していることからして,離職の原因は類似のものであると思われます。


 次に,年齢層別の離職率の推移をみましょう。上図によると,どの年でも,20代の離職率が際立って高くなっています。その推移は,全体のそれと似ていますが,最近,減少の傾向です。一方,30代の離職率は,97年以降,一貫して上昇の傾向にあります。

 ここで明らかなのは,90年代後半以降の離職率の上昇は,主に若年教員による,ということです。最近,よくいわれる「教職の困難」というのは,若年教員に集中していることがうかがわれます。はて,それはどういったものなのでしょうか。次回は,それを考える一助として,若年教員の離職率が高い県はどういう県かを明らかにしようと思います。

2011年5月7日土曜日

教員の離職率①

 最近,不登校の増加に示されるように,子どもの脱学校兆候が広がっているといいますが,それは,教員の側にも当てはまるようです。今回は,教員の脱学校傾向,職場不適応の兆候の多寡を測定することを試みようと思います。

 さて,いかなる指標(measure)を使うべきでしょうか。まず思いつくのは,病気(精神疾患)で休職する教員の割合です。新聞などでは,この指標についてよく取り上げられています。
http://www.asahi.com/national/update/1224/TKY201012240567.html

 しかし,この指標だと,性別や年齢層別,さらには地域別というように,細かい属性別に率を出せない,という難点があります。また,文科省が公表している資料からは,学校段階別(小,中,高…)の率を計算することもできません。全学校が一括りにされてしまっています。また,あと一点,難癖をつけるなら,当局がこの統計を取り始めたのは,1990年代後半からであり,長期的な時代推移をみることも不可能です。

 私は,これらの欠点をクリアする指標として,離職率というものがあることを知りました。離職率とは,ある年度内に離職した教員が,全体のどれほどを占めるか,というものです。文科省の『学校教員統計調査』には,調査の前年度の間に離職した教員の数が計上されています。

 最新の2007年版の『学校教員統計』によると,前年の2006年度間の小学校教員の離職者数は14,812人と報告されています。理由の内訳は,定年が67.0%,病気が2.6%,死亡が1.5%,転職が8.2%,大学等入学が0.3%,その他が20.5%,です。

 私が注目したのは,一番最後の「その他」の理由による離職者数です。定年でもない,転職でもない,要するに,理由が定かでない離職ということになります。教員の脱学校傾向や職場不適応の量を測るには,この意味での離職者がどれほどいるかをみるのがよいのではないでしょうか。もっとも,結婚退職というような理由がこの中には含まれるでしょうが,教員の場合,それはかなり少ないであろうという仮定を置きます。

 私は,「その他」という理由による離職者数が,全教員数に占める比率を計算しました。分子,分母とも,文科省『学校教員統計調査』から得ています。ただ,分子と分母の年次が1年ズレていることを申し添えます。分子の離職者数は,調査年の前年度間のものだからです。1年のラグなら,まあ,問題はないものとお許しください。


 前置きが長くなりましたが,最新の2007年の『学校教員統計』から,2006年度間の離職率を計算してみましょう。上表は,小学校教員のものです。まず,最下段の全体の離職率をみると,7.8‰となっています。‰とは,千人あたりという意味です。%にすると0.78%,およそ128人に1人の教員が,理由不詳の離職者ということになります。

 次に,性別でみると,女性は男性のちょうど2倍です。これは,結婚退職というような理由からかも知れませんが,後でみるように,両性の離職率の時系列曲線は近似していますので,そうではないと思います。

 続いて,年齢層別の離職率ですが,若年教員の離職率が飛びぬけて高くなっています。25歳未満の教員では19.8‰(≒2%),およそ50人に1人です。近年の新規採用抑制により,若年教員の比重が小さくなっているといいますけれども,その分,彼らが被る圧力のようなものが大きくなっているのでしょうか。2006年5月,採用されたばかりの23歳の女性教員が過労で自殺するという事件があったことは,記憶に残っているところです。

 だいぶ長くなりましたので,今回は,この辺りで止めにします。次回は,小学校教員の離職率が時系列的にどう変化してきたのかをご覧に入れようと思います,

2011年5月6日金曜日

教員の年齢構成の地域差

 2010年度の公立小学校教員採用試験の競争率は,東京の場合,3.5倍でした。一方,東北の青森では25.2倍と大変高くなっています。受験者25人につき,1人しか採用されなかったことになります。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1300242.htm

 青森の競争率が高いことの要因は何でしょうか。民間に比して,教員の給与の相対水準が高いため,受験者が殺到するからでしょうか。それとも,採用者数が少ないためでしょうか。答えは,後者です。上記の試験における当県の採用者数はたったの23人です。東京の1,628人とは大違いです。

 青森と東京の児童数の差を勘案しても,この差は大きいものと判断されます。新規採用教員数に,なぜこれほどまでの差が生まれるのでしょうか。それは,青森では辞める教員が少なく,東京ではそれが非常に多いからです。下図は,2007年10月1日現在における,公立小学校教員の年齢構成をみたものです。文科省『平成19年度・学校教員統計調査』より作成しました。


 東京では,50代以上の高年層が多く,青森では,40代あたりの中年層が多いことが明白です。最頻値(Mode)の年齢は,赤色で塗っています。東京は57歳,青森は40歳です。東京では,団塊世代の教員が多く,青森ではそれが少ないことがうかがわれます。

 この統計は2007年のものですが,それから3年後の2010年には,図の57歳あたりの教員が辞めたことになります。東京では,最も膨らんだ部分です。地方の学生を対象としたバスツアーのような企画を組まなければならない,東京の事情も分かるような気がします。

 新規採用教員の量に,このような開きが出ている結果,両都県では,若年教員の比重が著しく異なっています。20代教員の比率は,青森では3.0%,東京では20.2%です。東京では5人に1人が20代ですが,青森では33人に1人という具合です。

 青森の若年教員は,高倍率の試験を勝ち抜いた精鋭部隊といえるでしょう。でも,組織の末端に回される各種の雑務を,少ない人間でこなさなければならないことのストレスは小さくないものと思います。

 一方の東京では,そうしたストレスはあまりないでしょうが,大量採用世代ということでの,質の低下というような問題があるのかもしれません。都教委も,この問題を認識しているのでしょうか。東京の採用試験では,教員研修に関する事項が毎年出題されています。

 世代という外的属性によって,教員の職務遂行のパフォーマンスや,不適応の多寡がどのように異なるかは,大変興味ある問題です。私は,教員の離職率という指標を使って,この問題に計量的にアプローチすることができないかと思案しています。 

2011年5月4日水曜日

大学の新規採用教員

 前回,大学院博士課程への入学者が減っているというお話をしました。大学教員になることはとても難しい,いや不可能である,という認識が広まったためと思われます。

 ですが,大学の新規採用教員の数そのものは,増えています。文科省の『学校教員統計調査』によると,1988年度間では7,994人でしたが,2006年度間では11,528人となっています。1.4倍の伸びです。

 はて,これはどういうことでしょうか。このことを考えるには,新規採用教員の組成を調べてみる必要がありそうです。私は,1988年度間と2006年度間について,新規採用教員の性別と年齢の構成を明らかにしました。下図をご覧ください。


 両年の新規採用教員の組成を,人口ピラミッドのような形で示しています。年齢別にみると,最も多いのは30代前半であることに変わりはないですが,この層の比重は36%から30%へと減っています。比重の減少がさらに著しいのは20代後半で,30%から19%になっています。若年層の比重が減少していることが明白です。

 代わって,中高年層のシェアが広がっています。30代後半以上の比率は,1988年度間では29%でしたが,2006年度間では49%です。今日,大学の新規採用教員のおよそ半分が30代後半以上,約3割が40歳以上です。

 また,女性の比重の増加も特記されるべきでしょう。1988年度間の女性比は13%でしたが,2006年度間では27%と倍増しています。絶対水準ではまだまだ低いというべきでしょうが,最近の男女共同参画政策の効果として,評価されるべきことでしょう。

 一言でいって,大学に教員として雇われる人間の構成は多様化しています。近年,実社会での経験が豊富な社会人を大学教員に迎え入れようという傾向が強まっていると聞きます。たとえば,2007年に創設された教職大学院では,教員の4割は実務家教員とすることと定められています。上記の統計は,こうした動きの表れとみることもできるでしょう。

 こうみると,大学教員を志すならば,博士課程などにストレートに行かず,実社会で功績を挙げるほうがよい,という見方もできます。博士号をとるのは,後からでもよいわけですし…

 30近くまで生業に就いたことのない,温室育ちの博士というのは,今後,あまり歓迎されなくなるかもしれません。

2011年5月2日月曜日

博士課程入学者

 就職難を察知してか,最近,大学院博士課程の入学者の数が減少しているといわれます。実情はどうなのでしょう。私は,『平成22年版・文部科学統計要覧』に掲載されている,博士課程入学者の数の長期的な変化をグラフにしてみました。下図をみてください。


 この統計の始点の1955年では,博士課程入学者はわずか902人しかいませんでした。それが1975年には4,158人になり,1990年には7,813人に増えます。1991年以降は,大学院重点化政策の実施により,伸びの速度がさらに高まり,2003年には18,232人にまで増えます。わずか12年間で,倍以上の増加です。

 しかし,2003年をピークに,入学者数は減少に転じます。2010年の入学者は16,471人です。この間に,水月昭道さんの『高学歴ワーキング・プア-フリーター生産工場としての大学院-』(光文社新書)が出るなど,博士課程に進学することのヤバさを警告する向きもあったためでしょうか。博士課程への進学を忌避する傾向が強まっていることがうかがわれます。

 ところで,一口に博士課程入学者といっても,いろいろな人がいます。文系の院に進む者もいれば,理系の院に行く者もいます。また,年齢も多様です。修士課程を出てストレートに進学する若者が大半でしょうが,職をリタイヤし,余生の目標を博士号の取得に定めたというような高齢者もいることでしょう。

 私は,ピークの2003年と最新の2010年について,博士課程入学者の専攻と年齢を調べました。資料は,文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』です。


 まず上段の専攻をみると,入学者が大きく減っているのは,人文・社会科学系や理学系です。300人以上減少,20%以上の減です。その一方で,教育系や芸術系の入学者数は増えています。

 次に下段の年齢別の数字をみると,減少しているのは,もっぱら20代の若者です。修士課程からストレートに進学するというような,伝統的な進学層が減じているようです。反対に,40代後半以上の中高年層では,入学者数がかなり増えているのです。61歳以上の高齢者は,89人から143人へと1.6倍になっています。こうみると,教育系の入学者増というのは,現職教員の入学者が増えたことによるのかもしれません。

 現在,博士課程の募集定員を削減する動きがあり,さらに,募集そのものを停止すべきである,というようなラディカルな提案もなされています。生活基盤のない若者に対しては,そうした抑制策が強行されて然るべきであると思います。しかし,生活基盤のある中高年層の入学(院)をも抑制するのはどうかという思いがします。

 先月20日の朝日新聞に,定年退職後,博士課程への入学を決意した72歳の男性の紹介記事が載っていました。こういう方々の学びをも人為的に制限することは行き過ぎかと思います。
http://www.asahi.com/edu/news/SEB201104200008.html

 博士課程の進学抑制策というのは,対象を選ぶ必要がありそうです。